日記 今年の「満開佐倉文庫だより」に掲載した日記を収録したものです。佐倉本情報、佐倉市民本情報については別に収録しています。 【2007年1月1日〜 】 12月29日 ここ2,3日かけて、みなさんからいただいた情報の更新をしました。 「佐倉本新刊案内 平成19年」「佐倉本著者一覧」「郷土資料 著者一覧」「郷土資料 時代別・領域別一覧「「佐倉市民本 平成19 年」「佐倉市民本 著者一覧」「論文 著者一覧」「平成19年(一般雑誌」 新しい検索方法を作ると、そのデータづくりも倍の作業になりました。 今年もいろいろとお世話になりました。どうぞ、よいお年をお迎えください。 12月26日 〈佐賀のMさんにメール送信〉 情報大賞に、Mさんが情報提供してくれた森銑三の「随筆百花苑」が決まりました。 おめでとうございます。何も出るわけではありませんが、一年間の区切り、 一年間の情報整理、また一つの励み(遊びでもあります)としてやっております。 これからも、よろしくお願いします。 ★★★ 佐賀のMさんからメールあり 今朝メールを見て驚きました。私如きが情報大賞に選ばれて宜しいでしょうか。 幕末明治期に興味がありますから、関連図書を読んでいると、そこには佐倉出身の人物がしばしば登場します。 それらの佐倉関連人物の情報を連絡していただけでした。とまれ、他の佐倉本情報提供者様には御免なさいと謝りながら、喜んでお受け致します。 本日は有難う御座いました。これからも宜しくお願いします。 良い年をお迎えください。 〈返信〉 すばらしい情報をいただきましてありがとうございました。 来年も情報をお待ちしています。 12月25日 司書のみなさまから投票をいただいた第4回(平成19年)情報大賞は、「森銑三他編『随筆百花苑』第十三巻(1979年11月 中央公論社)」に決まりました。 次点は、1点差で「畠山清行著『秘録 陸軍中野学校』に、歩兵第57連隊の記載あり」でした。今回は、それぞれジャンルの違う佐倉本でしたので、選ぶのに苦労した という感想がありました。 投票された司書のみなさまに、お礼申し上げます。 ★★★ 情報大賞を決めると、今年も一段落したなあと思う。例年なら、このあと来年用の新しいページを作る作業に追われるのであるが、 そう几帳面にしなくてもいいのではないかと思うようになった。少し年をとったのだろうか。年末年始はホームページの更新を休もうと思っています。 12月24日 本ページの右中欄に【ラッキー・ナンバーをゲットした人の足跡】を新設しました。キリ番をゲットした人の感想を綴っていきます。次回は、80000です。 ★★★ えりっぷさんからメールあり ちばぎん総合研究所の「ひまわり倶楽部」2007年12月刊を知人に見せてもらしました。佐倉・印旛沼紀行という特集でチェリッシュのお二人が旅するという内容でした。 佐倉・印旛沼とくればもしやと思ったところ、やはり旅のコラムを書いていらっしゃいましたね。 〈返信〉 ありがとうございました。ちゃかり、満開佐倉文庫の宣伝もしておきました。 12月23日 節の介さんからメールあり 80000カウントの到達予想日を勘違いされて日記を書かれてはいらっしゃないでしょうか。 1ヶ月以上先のことにしては・・・。 〈返信〉 すいません。間違えていました。80000カウントを超えるのは、約2ヶ月先ですね。 ★★★ 水戸のUさんからメールあり オフ会には参加したかったです。当日は佐原に行く用事があったので、なんとか参加したいとずっと思っていたのですが、今回はあきらめました。 それは後の事として、今回は情報大賞候補の投票と、次の事を伝えたくてメールしました。 僕は漫画家横山光輝さんの大ファンです。特に『鉄人28号』は大好きです。6年前には友人と共同で、 講談社より「鉄人28号大研究」という本も出している程のファンです。まぁ、それは置いておいて、今回はその横山さんの作品の話しです。 横山光輝作品のひとつに『時の行者』というタイムトラベル物があります。その中に第9章「佐倉騒動」という話しがあった事を最近まで忘れていました。 未来から来た少年が佐倉騒動に巻き込まれるのですが、なかなかよく描けていると思います。 この話しは現在講談社漫画文庫〜横山光輝時代傑作選〜『時の行者』(中)巻で読めます。ぜひ読んでみてください。 〈返信〉 オフ会、出席できなくて残念でしたね。次回は来年の6月あたりに行いますので、ご都合がつきましたら参加ください。 『時の行者』、情報ありがとうございました。すでに買い求めてあります。これからも、情報をお寄せください。よろしくお願いします。 ところで参考までにお聞きしたいのですが、鉄人28号は、最後にどうなったのでしょうか。子どものころに読んだことを覚えていますが、ストーリを忘れてしまいました 12月22日 訪問者(アクセス)数、「80000」をラッキー・ナンバーとします。カウントが、このナンバーとなった人、よろしかったら感想をお寄せください。 お寄せくださっても何も出ないのですが、「ラッキーな気分」の足跡を残せるでしょう。なお、感想をお寄せくださるときには、ゲット時間を記入してください。 12月20日 〈公開文章講座のおしらせ〉 1、日時 2008年2月9日(土)午後13時〜15時 2、場所 佐倉市立中央公民館 3、講師 松島義一氏(編集者として、北方謙三氏や立松和平氏らの原稿にモーレツな朱を入れる) 4、参加 先着30名 5、主催 同人・俄(にわか) 6、申込み先 満開佐倉文庫の司書さんから頼まれましたので、とりあえず文庫が仲介をいたします。文庫までメールで連絡ください。 ★★★ 柚子を収穫し、ゆずジャムをつくる。ビンと包み紙はジョイフル本田で買ってきました。 12月19日 節の介さんからメールあり おはようございます(こんばんわ、ですが)。本日(12/19)午前7時少し前に、ホームページのアクセスカウント=77777を ゲットさせていただきました。 ここまでの、館主さまや司書の皆様のご尽力に敬意を表するとともに、満開佐倉文庫の 更なるご発展を祈念します。 また、司書としてささやかですが佐倉の情報提供を心がけて行きたいと思いますので よろしくお願いします。なお、記念のカウンタの画像を送付します。 (こちら) 〈返信〉 おめでとうございます。 これも、ホームページを見る一つの楽しみになりますね。提案に感謝します。次は、80000人目に設定しようと思います。 ★★★ えりっぷさんからメールあり 今朝ホームページを開いたところ77778人目でした。いわゆるキリ番ゲット寸前でした。 〈返信〉 残念でしたね。次は、80000人目を設定しようかと思いますので、また挑戦してください。 12月17日 まもなく、訪問者(アクセス)数が、77777人目になります。たぶん、明日あたりです。 別に、それでどうなるというものではありませんが、「ラッキーな気分」になれるでしょう。 感想などがありましたら、お寄せください。 12月15日 オフ会を開催。参加者4名。まずは自作の満開佐倉文庫司書の名刺交換を行い、各人が今年の文庫との関わりについて話し、続いて大賞の選考会に入りました。 今年は大賞候補の情報がどれもすばらしく、4名で投票すると票が割れてしまう恐れが想定されるので、 他の司書さんの投票もいただくことにしました。 そこで、本日、欠席された司書さんに情報大賞の投票をお願いしたいと思いますので、12月25日までに、メールを送ってください。 会を終了後、軽い飲食会をして楽しく過ごしました。 12月12日 右欄に、「郷土資料 領域別一覧」「郷土資料(2000年以前)・備忘録」を新設しました。「郷土資料 領域別一覧」は「郷土史資料 著者一覧」を時代や領域別に整理 しなおしたもの。「郷土資料(2000年以前)・備忘録」は、「佐倉発見本」に収録しようとしていた情報を合わせずに新設したものです。ご覧ください。 12月10日 本ページ、左欄にある「佐倉本 著者一覧」「郷土資料 著者一覧」を更新しました。「郷土資料 著者一覧」には、2000年以降の郷土資料を掲載していますが、 今年は2000年以前の情報提供が多く、ここには掲載していません。 でも、資料的に紹介したいと思うものがありますので、後日、「佐倉発見本」に収録しようと思っています。 12月9日 情報大賞候補の推薦理由を追加しましたので、ご覧ください。 11月の訪問者(アクセス)数 1180人 一日平均 39・3人 12月8日 満開佐倉文庫情報大賞候補の情報10点を順不同で掲載しました。上段にありますので、ご覧ください。 推薦理由については、まだ記載していません。これから順次、掲載していきます。 今年は候補情報が多くて苦慮しました。ここに掲載した情報は、とりあえず館主の選んだ10情報であります。 このほかに推薦候補がありましたら、推薦理由をつけてお知らせください。 オフ会に参加される司書さんは、この候補の中から大賞を選びますので、検討のほど、よろしくお願いします。 また当日、参加できない司書さんは1番、2番、3番までの候補を選んで連絡ください。 12月6日 節の介さんからメールあり 日記で紹介いただきました司書の名刺(サンプル)の画像ファイルを送付します。 また、作成を希望される司書さんの参考用に作成方法とテンプレートを示したWordファイルも 送付します。(変形、改造はご自由に) 〈返信〉 節の介さんから、すてきな満開佐倉文庫用の名刺サンプルをつくっていただきました。 名刺には桜の花が添えられて、品があり、佐倉をイメージさせてくれます。 司書のみなさんで、この名刺を使いたい方は連絡ください。Wordファイルをお送りします。 12月3日 節の介さんからメールあり 満開佐倉文庫の司書になると自費で名刺を作れるとありますが、この名刺に関しては使用することは無いと思っていましたが 先日の東伏見駅の調査では、持っていた方がよかったなあと思いました。(市立図書館で) そこで、添付のような名刺を作成してみました。 (まだ用紙に印刷していません)体裁や表記内容に問題が無いか確認していただきたく送ります。 〈返信〉 すばらしい名刺ですね。作ってください。そして、オフ会のときに1枚ください。 返信はここまで。 自費で名刺をつくるということについて、少し私の考えを記します。 私は、佐倉本を収集していましたが、溢れるように本が出版される現代においては一人では無理であると考えました。 そこで、佐倉本を探してくれる人たちといっしょに探したいと思うようになりました。 司書になった方には、自費で名刺がつくれるとしました。司書になっても何の特典もないので、せめて自費で名刺を作れるとしたのです。 これは、探してくれる皆様が公共施設などを訪れたときに名刺があったら話がスムーズに行くのではないかと思ったからです。 私は、その身分確定をするという立場です。つまり、施設から問い合わせがあったとき(そのようなことはないと思いますが)、 「はい、その方は満開佐倉文庫の司書です。」と答えるだけです。 佐倉本を教えて司書になったうえに、さらに自費で作らせるのかと思われてしまいますが、 これは一つの遊びと考えています。そもそも、「佐倉本(情報)を集める」ということからして遊びなのです。遊びは、身銭を切ってこそ遊びだと思います。 満開佐倉文庫を通して、大いに遊んでください。楽しんでください。 ★★★ えりっぷさんからメールあり お答えします。井利さんは、特に佐倉市と関係ないのではと思います。 県内の図書館でも所蔵は市川市の図書館にしかなく、郷土で登録されているようなので、現在は市川市にお住まいではとおもいます。毎年佐倉を訪れている書かれています。 一冊の本の中に26篇の短編が載っており、その中の一つに佐倉への思いがつづられていました。 「ひとがた流し」は北村薫著の小説で2006年刊です。以前佐倉本としてご紹介したと思いますが主人公が、佐倉の歴博にいくところが原作にはでてきます。 〈返信〉 ありがとうございました。 11月28日 静岡県御前崎市のMさんから、御前崎市佐倉の紹介メールあり。 (こちら) 〈返信〉 ありがとうございます。御前崎市佐倉の自然・風土が眼に浮かびます。自然に恵まれた、住みやすい土地と拝察いたしました。これからも、御前崎市の佐倉を紹介してください。楽しみにしています。 佐倉という地名は、まだ各地にあります。どうぞ当ホームページをご覧になった方で佐倉交流をしたいと思う人は連絡ください。インターネットで全国佐倉交流(紹介)を進めたいですね。 11月27日 佐倉本新刊案内〔平成19年〕新設しました。 11月26日 節の介さんから、映画「点と線」のロケ地となった西武鉄道の駅は、東伏見駅だというメールをいただく。 詳しくは、調査経過を整理してくれるとのこと。楽しみにしています。 ホームタウン佐倉さんからメールあり 早速のご返事有難うございました。映画「点と線」の西鉄 香椎駅が西武東伏見駅とは、まったく意外でした。 私は今まで現実の西鉄香椎駅とばかり信じており、最近の満開文庫の情報で電車の 塗色が西鉄色と西武色とでは、若干の違いがあることに気が付き、 もう少し深く調べればよかったと今頃になって悔やんでいます。 節の介様のご探求には、敬意を表します。 なお、昨日のテレビでは銚子電鉄外川駅が西鉄香椎駅、デハ801が西鉄電車とし て放映されたことをご連絡しましたが、銚子の友人から「点と線の ロケは、約1週間くらい要して、かなりの部分が銚子で行われた。 外川駅やデハ801のほか、電車が通過した踏み切りは観音駅から 銚子寄りの最初の踏切、また警察署内部は、ヤマサ醤油本社前にあ る公正市民館(公民館)の内部、旅館鳳明館はすべて利根川畔にある 大新旅館でロケされた」と聞きました。 とすれば香椎海岸の心中現場も銚子のどこかの海岸の公算が大と考えられます。 しかし、映画と比較してビートたけしの演技力も大きいと思いますが、テレビのほうが断然迫力があると思います。(前編を見ただけ の感想ですが…) オフ会参加できず、本当に残念です。ご出席の皆様によろしくお伝えください。 〈返信〉 ビートたけしさんの迫力はすごかったですね。それから、役者さんも揃っていましたね。もうテレビから眼を離せませんでした。 すばらしいドラマでした。 11月25日 ホームタウン佐倉さんからメールあり こんばんは。ご無沙汰しています。昨日、21時からビートたけし主演の「点と線」がテレビ朝日で放映 されました。東京駅のセットなどなかなか見ごたえがありましたが、 西鉄香椎駅は銚子電鉄外川駅、西鉄電車は銚子電鉄デハ801がロケさ れていました。電車は赤色の銚子電鉄の塗色のままです。昭和30年 代の情景としては、マア及第でしょう。 佐倉とは関係ない話ですが、話題性のあることなのでご連絡します。 続編が、本日放映されますので、再び西鉄香椎駅や国鉄香椎駅の場面 が放映される可能性もあります。 15日のオフ会は残念ですが会議があり、忘年会も予定されていますので、夜もダメと思います。残念です が欠席とさせてください。 〈返信〉 私も観ていました。迫力がありましたね。今夜も楽しみです。 オフ会、残念ですね。今年は、みなさん重なってしまった方が多く、申し訳なく思っています。 なお、sendagiさんからも、テレビ朝日「点と線」の西鉄電車ロケ地は銚子電鉄外川駅であるというメールをいただきました。 ありがとうございます。 11月19日 トップページにある「雑誌・冊子・論文・資料紹介」の平成19年を「研究雑誌 一般雑誌」に区分して掲載しました。 よって下段にある「研究雑誌一覧 一般雑誌一覧」と内容が重なるため、「研究雑誌一覧 一般雑誌一覧」は、以後、更新いたしません。 11月18日 トップページにある「研究雑誌一覧 一般雑誌一覧」を更新しました。 11月17日 トップページ左欄中段に「御前崎市佐倉情報」という項目を新設しました。 御前崎市のMさんからメールあり 返信が遅れまして申し訳ありません。「池宮神社考」のコピーをとって送る準備をしていたところです。 仕事が一段落しましたら遅らせていただきます。当佐倉のこと、紹介も喜んでさせていただきます。 今後ともよろしくお願いします。 〈返信〉 ありがとうございます。 御前崎市の佐倉紹介、楽しみにしています。そちらの立地、景観地などを紹介していただけますと、千葉の佐倉との比較ができます。 また、そちらの郷土史関係の本も紹介していただけると参考になります。これから、よろしくお願いします。 11月16日 佐倉本情報を読み返しているが、今年は例年になく、佐倉本にとって貴重な本の紹介が何冊かあった。 それは佐倉を語る上で知っていただきたい本であったり、私が考えなかった視点で書かれていた本であった。 たとえば、遠方から佐倉を通過した旅の記録などという本は想定外であった。これは、当地だけで探していても出会わなかった本である。 近々では、御前崎市のMさんから紹介のあった佐倉本。御前崎市の佐倉本ということになる。私は千葉の佐倉以外に佐倉本があろうなどとは想定もしていなかった。 これらの本は、新しい項目で整理できないだろうかと考えている。 11月15日 トップページにある「図録・報告書・目録」を更新しました。 11月14日 トップページにある、「佐倉市民本 平成15〜19年、著者一覧」を更新しました。ご利用ください。 今年の佐倉本を整理しようとコピーをする。40ページにもなった。例年なら夏に一度整理するので、これほどの量にならない。それにしても、今年の情報は多そうだ。 これだけでも一つの資料として読める。ただ、ホームページの入力関係から新しい情報(日付)が上段に記載されるため、ページを追って文章が繋がらずに読みづらいという欠点もある。 作業的には、コピーした資料にマーカーで本、雑誌、図録などの色分けをしていく。それから、それぞれの分野ごとに情報を抽出してパソコン入力するのであるが、 情報量の多さに圧倒され、本日は資料を読むのみ。一年間、みなさまと情報交換した日々を思い浮かべる。 ここ数日は、整理作業に追われそうだ。 11月11日 前日の続き 〈返信〉 はじめまして。満開佐倉文庫を運営している亀田雄岳と申します。 千葉県の佐倉には、このような話は伝わっていません。たいへんに興味のある本です。ぜひ手に入れたいと思います。購入方法、料金などを教えていただければ幸いです。 それから、どうも土地勘がなくて申し訳ありませんが、御前崎市佐倉は浜岡町にある佐倉とどれくらい離れているのでしょうか。 以前、浜岡町にある佐倉を訪れたときにも、確か池があったと記憶しています。 〈御前崎市佐倉に住むMさんから返信メール〉 亀田様が当地におこしになっていたとは驚きです。御前崎市は平成16年4月に御前崎町と浜岡町が合併して誕生しました。亀田様がいらした浜岡町佐倉と同一の地です。 さて、『桜ヶ池池宮神社考』は古い本で、すでに絶版とのことです。 11月10日 静岡県御前崎市佐倉に住むMさんから初メールあり 佐倉に関する出版物を収集しているとのこと。私の住むところは冒頭のとおり、「佐倉」といいます。 当地には、興味を覚える1冊の本があります。中村福司氏の著書『桜ヶ池宮神社考』(昭和53年9月20日発行 桜ヶ池池宮神社)。 当神社は私たち「佐倉」に住む住民の氏神様です。一地区の氏神とはいえ全国に信者がいるということが、この本に書かれています。 その実証でもありませんが、私が子供のころには秋の彼岸中日に挙行される「納櫃祭」に観光バスが100台近く集まっていました このたびお便りしましたのは、この本に「敏達天皇の3人の皇子が、3兄弟を伴って都を出、長兄が現在の岩手県大船渡市へ、中兄が千葉県佐倉市へ、弟が静岡県御前崎市へと住み着き、 いずれにも「佐倉」という地名ある」という伝承が記載されています。 伝承を確かめるため明治21年に当時の池宮神社宮司が、岩手県の当時の「気仙郡役所」に照会状を出しており、その返答に「佐倉」の地に子孫らしき人を発見したとの 書簡が送られてきたとの記録があるとのことです。 同様に千葉県にも照会したところ、こちらは不明だったようです。 いずれの地にも「佐倉」の地名と「桜ヶ池」という池と「天王社」が祭られているとのことですが。 11月9日 突然ながら、小説・エッセイに描かれた佐倉炭について調べてみたいと思う。合わせて、備長炭、池田炭が出てくる小説も調べてみたいと思う。みなさまの情報をお待ちしています。 〔佐倉炭が出てくる小説〕 1、夏目漱石「虞美人草」 2、 「文鳥」 3、 「彼岸過迄」 4、 「行人」 5、森鴎外「追儺」 6、 「青年」 7、国木田獨歩「竹の木戸」 8、 「節操」 9、青木玉 「小石川の家」 10、樋口一葉「われから」(桜炭) 11、近松秋江「別れたる妻に送る手紙」 12、岡鬼太郎「ひだり馬」 13、尾崎紅葉「二人女房」 14、小栗虫太郎「絶景万国博覧会」 15、夢野久作「梅津只圓翁伝」 16、有島武郎「或る女」 〔備長炭が出てくる小説〕 1、久保田万太郎「春泥」 11月8日 司書さんからメールあり 10月25日の貴日記の記載内容について解説・補足させていただきます。 「USAから司書さんのメールあり。アメリカからです。 市内に住む司書さんにメールを送ったところ、アメリカからメールが届いたという しだい。旅行でしょうか。」 素人解説ですがメールは、@・・・・のブロバイダーサーバー間で受発信が中継されます。 ブロバイダーが受信したものはサーバー内の****@さんの書棚に置かれます。 利用者は、自分のPCとブロバイダー間の接続経路を開通させ、 PC内のメイルソフトを起動させてサーバーから自分のPCに取り込みます。 これが、一般的にメール交信をするやりかたです。 接続経路には、ダイヤルアップ、ADSL、光、CATV、無線があります。 通常は、地元で接続しますが、 (1)海外でダイヤルアップ等で国内のブロバイダーサーバーに 接続すると、このサーバーから送信先までは通常と同じであり発信者がどこから発信 したかの 差異は生じません。(九州の人が北海道でダイヤルアップ接続しても同様) (2)もう一つの方法は、WEBメールなどと称されるもので、 サーバー内の自分の書棚に置いたままでメールを読んだり、書棚から直接発信操作を する 方法です。これは、通常のWEB閲覧画面でブロバイダーの****@の書棚に入り 込む ものです。(フリーメール、ホットメールはこの方法だけで受発信をします。) 今回は、海外の訪問先のPCを使用して、 CATV296の契約サーバーの自分の書棚にWEBメール操作でアクセスして 受信メールを閲覧し、返信メールを発信したものです。 メールの本文中にUSAにいますと書かない限り、発信地の識別は出来ません。 私が海外からユーカリが丘のサーバーに入って、 ユーカリが丘から館主さまに通信した次第 というような言い方が出来ます。 ということで、遠距離通信の観点では、USAから手紙が来た、無線で交信ができた という 時代と比べて、インターネットは感激の値打ちが少なく、ちょっと拍子抜けの感じが します。 なお、海外で生活されている方で文庫サイト愛読者がいる、司書さんがいるという 場合には世界につながる文庫だ、その国数は何カ国にのぼる、という扱いになるので しょう。 すみません、ご感激の腰を砕くような解説ですが、ご参考まで。 なお、滞在目的は3週間の研修でした。 「全文、ローマ字で(最初はローマ字と判断ができず)、てっきり迷惑メールと思っ てしまいました。 私から送ったメールは漢字が読めるとありました。しかし、アメリカから送るメー ルは、ローマ字でしか送れないようです。」 ローマ字しか送れないのは、端末のPCの問題です。 国内で使用しているPCを海外のホテルや訪問先のLAN端子につないで回線開通さ せることが出来れば そのPCで入力した漢字が送信できます。 今回の場合、訪問先で借用したPCに日本語システムがインストールされていなかっ たので ローマ字で入力したものです。 受信メールやWEB画面はフォントがすでに画像化、シンボル化されているのか 漢字が表示されます。貴文庫の閲覧も日本で見るのと同じ画面です。 しかし、日本のWEBサイトの閲覧の際に時々、USAのPC画面では 漢字が全部文字化けしてしまっている場合があります。 誤解の一部、再認識していただければ幸甚です。 〈返信〉 ありがとうございました。 11月2日 10月の訪問者(アクセス)数 1,136人 一日平均 36,6人 ありがとうございました。 10月27日 佐賀のMさんから教えていただいた『漫談 明治初年』(批評社)を購入。西村勝三の子である河野桐谷談が掲載されている。 西村勝三の基礎資料である井野辺茂雄・佐藤栄孝編著『皮革産業の先覚者 西村勝三の生涯』(1968年3月 西村翁伝記編纂会)と合わせてご覧いただくと、勝三の 業績が理解できると思います。もう一冊、耐火レンガの話を記した良書があったが、題名を失念してしまった。 10月25日 USAから司書さんのメールあり。アメリカからです。 市内に住む司書さんにメールを送ったところ、アメリカからメールが届いたというしだい。旅行でしょうか。 全文、ローマ字で(最初はローマ字と判断ができず)、てっきり迷惑メールと思ってしまいました。 私から送ったメールは漢字が読めるとありました。しかし、アメリカから送るメールは、ローマ字でしか送れないようです。 以前は中国からメールをいただきましたので、これで2大陸制覇です。別に私の力ではないのですが、なんとなく嬉しいですね。 10月16日 七つの子さんからメールあり 佐倉の秋祭り、無事終了しましたね。お疲れさまでした。今年、私は麻賀多神社大神輿の高張提灯を持たせていただいておりました。 もちろん初めての経験で、たいへん楽しく、また勉強にもなりました。 でも、大神輿は高張提灯の後ろですから(当たり前ですが・笑)、いいところがほとんど見られず、写真も満足に撮れず、残念! 〈返信〉 そうでしたか。だから、近くにいてお会いすることができたんですね。ご苦労様でした。 ★★★ えりっぷさんからメールあり 秋祭り盛況のようですね。例年のようにテレビ観戦でした。お天気がもったようでよかったです。お疲れ様でした。今度は花火大会ですね。 施設も昨日花火大会用飾り付け済みです。昨日は出張所が初めて日曜開所になりました。報告まで。 〈返信〉 花火大会、晴れるといいですね。 10月14日 祭り、終了。疲れる。明日から普段の生活にもどる。やはり、祭りの期間は、気分が特別になっていたと感じる。 10月13日 昨日から、「佐倉の秋祭り」に参加。「御神酒所」の交通係をやる。佐倉の「御神酒所」とは山車であり、町内総出で引き回す。その交通係。 普段持ったことのない誘導灯に、スターウォーズのライトセーバーを思い出す。 途中、司書の七つの子さんに声をかけられる。七つの子さんも祭り半纏を着ていたが、どこの町内の何の役をやっていたやら・・・。 町内の人から「祭りのこと、ホームページに掲載するように」と声をかけられる。意外。私の知らなかった訪問者を一人知る。いつもご覧いただきまして、ありがとうございます。 10月12日 えりっぷさんからメールあり 昨日市役所に用事があり、ひさしぶりに京成佐倉の駅でおりました。ついで歩ける範囲内で歩いてみました。 通りのあちこちで、布をかぶせたおおきな塊がみられました。野口屋さんの駐車場にもテントが組み立てられていました。「佐倉の秋祭り」、晴れるといいですね。 10月7日にメールしたんですが、届いていないでしょうか。内容は「今朝、日本テレビの「皇室日記」を見てましたら、佐倉の歴博に8月両陛下がいらっしゃったニュースをながしていました。 5日後に皇太子殿下がいらっしゃったとの映像もながれました。一応お知らせです。 「すたっと」10・11月号に佐倉の秋祭りの特集が載っています。映像配信もしているようです。 余談ですが、志津駅前にここ数年空きビルだった旧志津マインが昨日より、志津ステーションビルとしてオープンしました。 一部だけですが、このところ、ハンバーガー屋さん、写真屋さんなど古くからの店が次々と閉店していっているので、少し明るいニュースです。 花火の募金箱見つけました!出張所の一番奥に置いてありました。 <返信> 掲載するのを忘れていました。申し訳ありません。 10月11日 T3さんからメールあり 『歴博研究報告 131号』、家にありますので、ご希望でしたら差し上げます。 〈返信〉 ありがとうございます。 いただけるなら、いただきたいと思います。いつでも結構です。 10月10日 水戸のUさんからメールあり お久し振りです。 さて、古書目録に、館主さんの興味がありそうな本があったので連絡します。 「二十万分一帝国図 佐倉」 2,625円 「佐倉連隊にみる戦争の時代」(平成18年)1,575円 「佐倉連隊と地域民衆」(平成18年)5,250円 〈返信〉 ありがとうございました。 「佐倉連隊と地域民衆」は知りませんでしたので、佐倉市の図書館検索で調べましたら、「国立歴史民俗博物館研究報告:第131集 」に所収されているものということでした。 さっそく手に入れることにします。 10月1日 本日は衣更えというが、いきなりコタツが恋しくなる夜となった。 今年も残り3ヶ月となったが、文庫では12月に年間の情報大賞を決めるので、実質的には、あと2ヶ月で今年の締めくくりというところ。 そろそろ1年を振り返って、情報大賞候補を選ぶ作業に入ろうと思う。今年も、いろいろな情報が寄せられたので楽しみである。 選んだ候補の中から、12月に司書が集まって大賞を決める。今年は、6月に開設記念オフ会を行っていないので、みなさんとお会いするのは1年ぶりとなる。 そのようなことを想う、秋の夜長でした。 9月30日 9月の訪問者数(アクセス数) 1,173人 1日平均 39.1人 日々の訪問者数は、日々、定時に確認しメモノートに記録してきた。 平成17年から記録してきたが、そのメモノートが終わった。このノートには、ホームページ作成につまづいた ときの正しい入力方法も書いてある。そのようにして、少しずつ覚えてきた。 明日からは、新しいノートに訪問者の人数を記録していく。いままでのように、すばらしい出会いが続きますように。 9月22日 福岡市にお住まいのFさんからメールあり はじめまして。ひょうんなことから貴HPを知りました。 「点と線」の国鉄香椎駅が佐倉駅を使って撮影したことを初めて知りました。 ところで、貴HPからこのことを知った人は、「西鉄香椎駅は現地撮影でなく、西武線のとある駅だ」と言っております。 私は福岡在住で、封切時から現地撮影と思い込んでいたのですが、この指摘をうけてDVDを見直すと、西鉄ではないことがわかりました。 まず、電車が立派過ぎる。当時の宮地岳線車両は16mクラスの2,3両連結で、扉は手動でした。色と形が似ているので騙されます。 駅舎と構内配線も実物とは違うようです。以上、発見した人からも連絡があるかもしれませんが、念のためお知らせします。 なお、おなじころ制作された「張り込み」(野村芳太郎監督)は、佐賀はじめ九州の国鉄駅はすべて現地ロケのようです。 DVD付録の撮影秘話によると、野村監督は「わざわざ現地に行かなくても撮れるのに、と他の監督さんに言われたけど、筋書きや配役はそれほど面白くないのだから、せめてロケだけは現地でやって迫真力を出したい」という趣旨の話をしていたそうです。 それはともかく、貴HPのおかげで以前から見たかった「指導物語」もネットから見ることができ、感謝いたします。 〈返信〉 はじめまして。 満開佐倉文庫を運営している亀田雄岳と申します。当ホームページをごらんいただきましてありがとうございます。 このたび、情報をいただきましてありがとうございました。さっそく、ご指摘のあった西鉄香椎駅の話を検討してみます。またホームページに掲載し、みなさまから情報をいただくようにいたします。 国鉄佐倉駅ばかりに目をとられ、他は見過ごしてしまった(また現地ロケという思い込みがあった)のかも知れませんね。これからも、よろしくお願いします。 そうすると、自殺(殺人)現場の海岸も現地ロケではなかったんでしょうかね・・・。「点と線」のロケ地探しにまで、話が膨らんでいくと楽しいですね。 9月21日 駕篭舁さんからメールあり 本日、取材先に連絡をとり、詳細お話を聞くことにいたしました。 突然降ってきたような話で経験もなく、どうなることか戸惑っております。 館主様のアドバイスをいただけるとありがたいです。 別件の話ですが、最近、満開佐倉文庫の司書さんである八谷衣人さんと電話で初対話?する機会がありました。 満開佐倉文庫にのせていただいた小生のリポートに関連して、幕末の情報交換をしました。 〈返信〉 取材、よろしくお願いします。 八谷衣人さんは、古くからの司書さんです。八谷さんも幕末に興味を持っています。司書さん同士の情報交換も楽しそうですね。 (八谷さんは、当ホームページの「ただいま執筆中」の項目にある、「さくら・しゃべくる・くろにくる」を執筆しています。) これまでは、館主とみなさんとの相互交流でしたが、今回のように満開佐倉文庫を通して交流する人が出てきました。 満開佐倉文庫が、このように利用されることはありがたいことです。 9月20日 〈駕篭舁さんへ〉 成田街道についての取材依頼がありましたので、メールをお送りしました。当ホームページを見てとのことです。 よろしく、お願いします。 9月19日 えりっぷさんから、読書だよりあり まだまだ暑い日々が続いていますが、皆さん旺盛な学習意欲に満ち満ちていらしゃるようですね。 私は今、夏目漱石の本をいろいろ読み進めているところです。今年は漱石の生誕140年、「朝日新聞に小説記者として入社し、プロの作家になって100年」(朝日新聞9月17日朝刊より」だそうなので。 漱石の小説は学生時代にいろいろ読みましたが、今回は漱石の教師としての話やイギリス留学時代のことなどかかれたものを読んでみようと思っています。 なにを調べても結局明治時代にかかわるんだということに最近気づいてきました。明治というのはすごい年だったんだなあと改めて思うこの頃です。 〈返信〉 漱石の生誕140年とは知りませんでした。漱石は浅井忠と交流がありました。面白い話題が見つかりましたら紹介ください。 9月17日 本日、所用があって八街市の「鍋島開墾」を通過する。Mさんと話していた、深川亮蔵が開墾した地区である。 Mさんから、ご教示のあった杉谷昭『鍋島閑叟』、河野与一著 原二郎編『学問の曲がり角』がアマゾンから届く。佐倉(前書は佐藤泰然、後書は佐倉炭)が出てくる箇所に付箋を貼る。 8月18日 明日から今月末までパソコンを立ち上げませんので、ホームページの更新とメールの返信はしません。 8月17日 本棚を整理しているが、手狭になってきた。結構、佐倉本も入っている。もう、「佐倉は小説に描かれる町」「小説に描かれる人物が多い町」といっても過言ではないと実感する。 風土としては城下町、印旛沼、営所が置かれた町(歩兵第2連隊、歩兵第57連隊)。人物では堀田正睦、順天堂関係者、松本良順、依田学海、津田仙、 現代では長嶋茂雄さんなど。 これらのことから、佐倉も文学風土がある町と考える。そして、その特徴は「江戸時代から現代まで継続して風土や人物が描かれる町である」と考える。 そのようなわけで、小説の題材を考えている人へ。 ぜひ佐倉を描いてください! 8月16日 えりっぷさんからメールあり 毎日厳しい暑さですね。頭もボーとしてます。今相撲界がなにかと話題になっています。いままで興味のなかった佐倉にゆかりのある雷電為右衛門の本を読み出しました。もりたなるお著の「力人」です。 これで感想文が書ければと思ってますが。(さくらおぐるまの受付が昨日から始まってしまいました)パソコンのある場所がエアコンの壊れているところなので、なかなか書き込みする気力がでません。 みなさまも暑さに負けずに佐倉のこと学んでください。公共施設で夏休み限定で学習席を設けてるところもいろいろあるみたいですし。 〈返信〉 毎日、うだるような暑さが続いています。本を読もうなどという気になりません。家の中で、ぐったりとしています。 感想文ができるのを楽しみにしています。 佐倉市立中央公民館では、夏休み期間中、子どもたちのために学習席を設けています。利用しましょう。 8月14日 今日も暑さが続きます。 昨日は、私が買いたい古本があまりにも安いので驚きました。これが出版された本の傾向なのかどうかわかりませんが、コレクターとしてはありがたいことです。 これまで本を買わずに図書館で読むだけの本が何冊もありましたから、一度、それらの本はどのような値段なのかを調べてみたいと思います。 本といっしょに袋詰めになったコピー資料が、いくつか出てきた。あることを調べたが、成果が生まれなかった資料である。いや、まだ調査中の資料である。そのような心残りの探求もいくつか残っている。 8月13日 本棚を眺めていて、まだ探せていない本があるのに気づいた。あの本が並んでいない、使いたい本が抜けている。思うだけでもダンボール1箱分以上はあるだろう。 でも、また本を探しに牛小屋倉庫に入るのかと思うと、どっと疲れが出る。ちなみにアマゾンで購入するとどれくらいの値段かと思い、検索する。 なんと、1円と出た。しかも税込みである。税込みで1円とは、原価は・・・。送料込みでも341円。他の本も1冊10円、31円と出た。 とりあえず、これらの本は注文することにしよう。というわけで、本棚には1冊1円〜31円の本が、適度に並ぶことになった。 1冊1円〜31円の本といっても、れっきとした単行本であり、帯もついている。これらの本は、本棚に並ぶと「佐倉本」という一つのジャンルとなって館主納得の本揃えとなるだろう。と、かってに思うのであります。 8月12日 これまで本棚が2つしかなく、読んだ本を箱詰めにしてしまっていた。原著は見られないが、それほど不便はなかった。特にホームページを開設してから、不便を感じなかった。 たぶんホームページが書斎、書庫代わりになっているのだろう。それに、どうしても原著を見たいときには、図書館で見ることにしている。 もし佐倉市の図書館に原著がなくても、各図書館で相互貸与ということをやっているので、2週間〜1カ月ぐらい待てば、ほとんどの本を見ることができる。 そのようなわけで、本を牛小屋倉庫に詰め込んでおいても不自由はなかった。 ところで、今回の移転により本棚1つ分多くの本を並べられるスペースができた。本棚には佐倉が出てくる本を並べたが、一見すると脈絡がない本が並んでいるように思える。 吉村昭『仮釈放』、江國香織『神様のボート』、松岡圭祐『千里眼のマジシャン』、小出義雄『君ならできる』など。 改めて思う、「満開佐倉文庫」とは、このような本の蔵書であったのか。そして、ホームページ「佐倉と印旛沼」が、満開佐倉文庫であると。 満開佐倉文庫を訪れたいときには、どうぞ当ホームページをご覧ください。 8月11日 家を移転したので今まで読んだ本を整理しようと、牛小屋倉庫から本を出している。私は書斎を持っていなかったので、読んだ本は牛小屋倉庫に箱詰めにしてきた。 1冊の佐倉本に出会うまで、かなり周辺の本も読んだようで、多方面の本もある。 ざっとの感じで言えば、佐倉本1箱に対し、周辺の本が3箱ぐらいの量である。そのほか、家族の雑多な箱があり、それらがサンドイッチ状に重なり、奥から詰まっている。 何のことはない、部屋が窮屈になるたびに、箱詰めにして、倉庫に重ねてきたというだけである。 そのようなわけで、どこに何が入っているか、さっぱりわからず、苦労している。 本来なら、夏休みに、みなさんからいただいた佐倉本情報を整理するところであったが、まだ手付かずの状態。できるところでやろうと思う。 8月3日 昨日、インターネットの接続を完了し、メールを受けられるようになりました。 まだ部屋の整理がつかず、疲れも出ている。 7月27日 本日、引越しのため、パソコンの電源を抜きます。NTTの設置工事が8月2日になるというので、パソコンの立ち上がりが翌日になります。 それまで、メールをいただいても返信できません。しばらく失礼いたします。 7月25日 M3さんからメールあり Google の「ブック検索」をご覧になりましたか。「佐倉市」と入力すると、佐倉市と書かれている本が検索できるんです。すごいです。でも、ただ検索できるというのでは 佐倉が出てきたという「驚き&感動」がありませんね。 〈返信〉 先日(7/6)、そのことについては書きましたが、満開佐倉文庫の存立基盤を揺るがすような影響はないと考えています。 もちろん、私が考えるような検索ができるようになって便利になるとは思いますが、これは現在出版された本で、 しかも電子入力された本の検索ができるというものですから(と思うのですが)、そうでない本の方が圧倒的に多いわけです。ですから、佐倉が出てくる本の一部が検索できるというところです。 もちろん、それでも便利であることには違いありませんし、満開佐倉文庫の活動を補ってくれることには変わりありません。 そうではありますが、満開佐倉文庫は佐倉という文字が書かれた本を探すことが目的ではなくて、読書をするための手段、つまり「佐倉を探すという一つの読書法」だということです。 読書をしていく中で、佐倉という文字に出会い、感動を覚えるんですね。そのような読書の励みとしての「佐倉探し」だと考えています。 満開佐倉文庫は単なる図書検索サイトではなく、個人が知り得た佐倉本情報を共有するサイトであり、そのようなことを通じて人と人の「つながり」が生まれます。それから、集めたデータを整理しています。これは、図書検索サイトにはできないでしょう。 このほか、まだ図書検索サイトにはないことが満開佐倉文庫にあると思います。一度、Google の「ブック検索」を使ってみると、その違いがわかります。 で、さっそく使ってみましたら、私が把握していない本が見つかりました。思わず、便利だな・・・。いや、そういうことを言いたかったんじゃあなくて・・・。 7月24日 えりっぷさんからメールあり お引越しの準備大変そうですね。天候も不順ですし、お疲れにならないよう、ほどほどでがんばってください。 先日地域新聞佐倉東版と佐倉西版に週遅れで佐倉の本の紹介が掲載されました。「歩きたくなる佐倉の小道7選」健康できれいなまちづくり2年1組健康グループ編、佐倉市民カレッジ2006年12月刊です。 反響は結構あって、見たいという方が多くいらっしゃるようです。新聞の力の大きさとともに「佐倉」に対する関心の高さがうかがえます。 〈返信〉 ありがとうございます。さっそく探してみます。 もう、本をダンボールに詰めるだけで、うんざりしています。しかも、また開くことを考えると・・・。 7月21日 過日(7/12)お知らせをした、「日本文学館・超短編小説大賞」で佳作となった淺永マキさんの作品が、今秋、日本文学館より発行予定の「届かない想い」という題のオムニバス本に、掲載されます。 出版を楽しみにしています。 7月18日 引越し準備中。気になる本を脇に置いているうちに、ダンボール箱に詰めているやら、散らかしているやら。 7月14日 引越し準備中に行方不明となったノートを発見。また数年前から自宅内行方不明となっていた本も発見。本を発見することはしましたが、数年前のこととて関心が遠のいてしまっている。やはり、本は読みたいときに読めないと力が入らない。 7月13日 〔えりっぷさんへ〕 現在、引越し準備中。本を整理していたら、俵浩三『牧野植物図鑑の謎』という平凡社新書(1999年9月)が出てきました。以前、与世里盛春氏について調べているとのことでしたので参考になるかも知れません。ご一報まで。 ★★★ 本をダンボール詰めにしているうちに、訪問者(アクセス)数を記録するノートが行方不明になってしまった。探しても見当たらない。うーん、と唸ってしまいました。 7月12日 〔受賞のお知らせ〕 佐倉市出身の作家、淺永マキさんが(佐倉市民本の著作を登録してあります)、このたび『麦わら帽子と毛玉とゆかた』という掌編で「日本文学館・超短編小説大賞」の7月度佳作を受賞致しました。 応募総数642作品中、最終選考14作にノミネートされたのち、優秀賞1名&佳作3名の1人に選出されての結果です。おめでとうございました。 淺永さんとは、満開佐倉文庫に淺永さんの著作を佐倉市民本として登録させていただいたことから知り合うことなりました。このことは、満開佐倉文庫が単なる図書検索サイトではないということの証左といえます。サイトを通じて、人と人の「つながり」が生まれるということですね。 館主の希望ですが、いつか佐倉という文字が出てくる小説を書いていただけるとありがたいです。 なお、淺永さんはこの作品を機に筆名を「浅永」から「淺永」に改名するという旨を、正式に受けました。当ホームページを通じて筆名変更のお披露目でもあります。 7月11日 7月7日付けの日本経済新聞に、米グーグルと慶応義塾大学で図書データを電子化してインターネットで閲覧できるようにすることで提携するという記事がありました。 電子化に必要な費用はグーグルが負担し、取り込んだ文書データに文字認識処理をしてネットで検索できるようにする。著作権の保護が終了した明治から 昭和にかけての図書3万冊と、和装本などの資料9万点が対象。 たとえば利用者がグーグルのホームページで「福沢諭吉」と検索すると、図書館の関連蔵書リストが示され、蔵書の内容もネット上で閲覧できる、という記事でした。 先日(7月6日)に紹介した検索は、現在発行されている本で電子化されたものの検索ができるというものでした。この検索と合わせると、 将来、ほとんどの本は、内容検索までできることになるでしょう。 この「取り込んだ文書データに文字認識処理をして」という方法で表示すると、どのような画面になるのかわかりませんが、 アマゾンの「なか身検索」を見ると、ページをスキャナーのようなもので取り込んでいるように思えます。つまり、原書が縦書きであれば縦書き、横書きであれば横書きのレイアウトのまま読めるようです。 しかも、手入力の苦労や、誤字の心配がなくなります。 このような図書の電子サービスが始まるなかで、満開佐倉文庫はどうなるのだろうかということですが、先日、影響がないと書かせてもらいました。 さらに、著作権が切れた本の電子化サービスが始まっても、満開佐倉文庫は影響がないと考えます。 7月10日 えりっぷさんからメールあり 早いもので、今年も佐倉市立図書館に「さくらおぐるま」の原稿募集の案内が配られる季節になりました。昨年と同様「佐倉学」の原稿も募集されます。 今年こそきちんとした原稿を書き上げて出したいと思っています。ホームページをご覧の皆さんもどんどん参加してください。宜しくお願いします。 〈返信〉 「佐倉学」の原稿は、佐倉が出てくる小説を読んでの感想文であったと思います(今年の要項を見ていませんが)。 募集要項を読んで、参加しましょう。 7月6日 検索エンジン・グーグルが、「ブック検索」と呼ばれる本の内容検索ができるサービスを行うとあった。たとえば「佐倉」などと打ち込むと、どの本の何ページにその単語が使われているか表示されるというのです。 その前提として、出版社から提供された本を電子化して、検索できるようにすることが必要となる。アマゾンでも「なか身検索」という項目があり、最近出版された本で電子化されたものは中身を読むことができます。 さて、そうなると満開佐倉文庫の「佐倉探し」はどうなるのかと考えるのですが、出版される本のすべてが電子化されることはないだろうから、ほとんど影響はないと思います。 そもそも「佐倉」という文字を探す行為は、まず読書をすることが基本であり、読書をする中で「佐倉を探す楽しみ」や、「佐倉に出会う喜び」に浸ることであります。つまり、「佐倉探し」は、読書をするための一つの方法なんですね。 私は、これを「地域探しの読書法」と呼んでいます。そして、その副産物として「佐倉のいろいろ」が見えてくるのです。 もちろん、「ブック検索」は佐倉を探すうえでの一助になるでしょうが、それだけではないんです。おそらく、読書をしないで「ブック検索」だけで佐倉を見つけ続けても、空しくなるでしょうね。 7月5日 このところ、2003年、2004年の「佐倉本探索日記」を読んだという方からメールをいただきました。 内容の関連であったり、誤字の指摘であったりです。このころは、とにかくホームページの更新をすることが、やっとの時期でした。 ですから掲載の体裁が定まっておらず(技術が伴っておらず)、その日の日記が書ければよい、という程度のホームページづくりでした。 あれから少しはレイアウトや掲載方法が進歩したな、と思っていただければありがたいです。 これからも誤記や、誤字を見つけたりしたときには、お知らせください。 7月4日 6月の訪問者(アクセス)数 1340人 一日平均 44,6人 6月26日 久しぶりに、図書館関係のホームページを散策する。図書館のホームページであったり、実際に働いている司書さんのホームページであったり。 満開佐倉文庫は仮想図書館だから予算削減などの問題はないが、画面のレイアウトなどが参考になった。 6月25日 茨城にお住まいの方からメールあり 茨城県立歴史館では、今秋10月6日〜11月14日に「小川芋銭河童百図展」が開催されます。 この展示会に伴い、図録の予約をしています。詳しくは、茨城県立歴史館のホームページをご覧ください。 以前、貴ホームページに小川芋銭が描いた「河童百図」の中にある「印旛沼の一本足」という河童の話がありました(2006年2月10日 掲載)。 図録は、「河童百図」の初版本を復刻する形での編集とあります。館主様の参考になるかも知れません。ご一報まで。 〈返信〉 ありがとうございました。さっそく歴史館のホームページをみてみます。 6月19日 恒例の、といおうか、またパソコンが動かなくなってしまった。私のパソコンは、いろいろな部品を集めて作ってもらったため、不具合が時々起こる。 ある日、突然、パソコンが立ち上がらなくなってしまうのだ。そのようなことで修理に数日かかり、更新ができなかった。そして、立ち上げたら、メールが溜まっていました。 返信に、もうしばらくかかりそうだ。 6月14日 えりっぷさんから6月12日の映像記録について 戦前の映像というとニュース映画が思いつくところです。戦前はまだテレビがなかったので映画館で本編の合間にニュース映画が流されてたということです。 そのなかに佐倉の映像があるかどうかですが。国会図書館のテーマ別調べ方案内の「ニュース映画」のテーマの欄に色々書いてありました。どちらにしても大変な作業になるとおもいます。 〈返信〉 そうですね。調べるのが途方もないんですね。しかも、ほとんど可能性がないという話ですから。 6月12日 知人から、「戦前の佐倉を撮った映像記録がありますか」という問い合わせ。戦前の佐倉の映像記録?まったく検討がつきません。 ・・・あるとすれば、昭和11年、佐倉に駐屯していた歩兵第57連隊が渡満するときに兵士のバックに街中が少し映るくらいだろう。で、どのようにして探すのか? どなたか心当たりがありますか?教えてください。 6月11日 節の介さんからメールあり 〈1報〉 検索に関する参考情報です。 @サイト内検索について サイトオーナーなら、WEBサーバーに転送されたファイルは手元のPC上の限定されたフォルダに控えがあるはずです。このフォルダ内を検索するのが効率的でしょう。 検索方法は、 ・エクスプローラーでフォルダ階層の対象範囲のフォルダを指定 ・エクスプローラの検索機能で、オプションで「ファイルに含まれる単語又は句」の欄に入力 (フェイル名の検索欄はブランク) 〈2報〉 AWEB検索について 以下は、Google検索の場合についての例示です。 「堀田正睦」:15,900件、「堀田正睦 満開佐倉」:58件、「堀田正睦 満開佐倉文庫」:28件、・・・「堀田正睦」&「佐倉」も含む「堀田正睦 "満開佐倉文庫"」:19件 、・・・「満開佐倉文庫」の6文字セットが必須条件、「堀田正睦 正倫 ”満開佐倉文庫”」:5件、「堀田正睦 -正倫 ”満開佐倉文庫”」:13件、 …半角のマイナスを付けることで、「正倫」を含んでいないことが条件となっている。 「津田仙」:868件、「津田仙 満開佐倉」:24件、「津田仙 満開佐倉文庫」:20件、「津田仙 "満開佐倉文庫"」:11件、「津田仙 梅子 "満開佐倉文庫"」:9件、「津田仙 -梅子 "満開佐倉文庫"」:3件 このように、"満開佐倉文庫"とのセットでの検索をすると貴文庫内での検索が可能になるのではと思います。 但し、別のサイトで 「堀田正睦のことは満開佐倉文庫で整理されている」と記載されているものも検索でヒットします。 また、マイナスは歴史上の人物と野球選手が同姓同名の場合「-野球」「-選手」等により歴史上の人物に絞ることが出来ます。明治時代に始球式をしたことはグレーゾーンになってしまいますが・・・。 〈3報〉 BWEB検索を受けることについて 前々報で、館主さんの検索ニーズは満たせたと思いますがついでに、連絡します。 SEO 【サーチエンジン最適化】読み方 : エスイーオー フルスペル : Search Engine Optimization というような用語と分野があるようです。 例えば、 http://e-words.jp/w/SEO.html 聞きかじりですが、トップページのタイトルにおいしいキーワードを盛り込んでおくと検索されやすいそうです。例えば、貴文庫のトップページ上で画面全体のプロパティを確認すると「佐倉と印旛沼」となっています。 「満開佐倉文庫」を検索すると検索結果のリストではこの言葉が検索結果の見出しに出てきます。 一方では、「満開佐倉文庫」が検索結果見出しに出ているページがあります。例えば、「テレビ・映画・記念キップ・CD情報」のページです。 このページのファイル内のタイトルが「満開佐倉文庫」となっているためです。 画面を表示してプロパティを確認すれば表示されます。このことが、前報Aで「満開佐倉文庫」を組み合わせた検索が便利に出来ることにつながっています。 そこでの一つの検討案はトップページのファイル内タイトルを現状の「佐倉と印旛沼」から「満開佐倉文庫は佐倉と印旛沼の電子図書館を」のようなキーワードを多く含んだファイル内タイトルに 変更することです。 このタイトルの文字数はGoogleで全角20文字、yahooで40文字までのような表示上の制約があるようです。例えば、「佐倉市」と検索すると検索結果の見出しに 「佐倉市観光協会のHPへようこそ」と出ますが、このサイトに行っても、このようなテキストは画面表示されていません。 しかし、画面のプロパティを確認するとファイル内のタイトルとしてこのテキストが内蔵されています。(なお、この案はSEO対策を希望される場合のものです) 〈返信〉 たびたびありがとうございました。 6月10日 〔どなたか教えてください〕 サイト内の資料が増えてきたので、サイト内検索をできないかと思っていますが、うまくいきません。いろいろ考えましたが、結局、 検索サイトであるGoogleとYahoo!JAPANを使うのが手軽であるとの結論に達しました。(安易かな) このサイトはとても便利で(当然ですが)、文章の文字まで拾ってくれます。たとえば司書の「節の介さん」「えりっぷさん」で検索できます。 ところが「峠の釜飯さん」「緑葉さん」など同名の名前があると、なかなか検索できません。また歴史上の人物では、あまり知られていない人物「与世里盛春」「広田彬」はトップに出てきますが、 「津田仙」「堀田正睦」などはトップに出てきません。 そこで、どなたかに教えていただきたいのですが、検索サイトではどのような基準で検索順位をつけているのでしょうか?わかる方がおりましたら教えてください。 あるいは満開佐倉文庫にある文字をGoogleとYahoo!JAPANで検索して、このような文字はこのような順位で出てくるなどということを調べてくれる方がおりましたらお願いしたいと思います。 また、サイトに掲載して、すぐにはGoogleとYahoo!JAPANは文字を拾わないようです。どれほどの日数が経ったら文字を拾うようになるのでしょうか。 この原則がわかると、たいへん便利に使えるのではないかと思います。 6月9日 TさんとSさんから、名刺を作りたいので、ホームページに掲載してある「壁紙サービス」の写真を使えないかという話を受ける。 個人利用ですから、どうぞお使いくださいと答えた。利用前に一報くだされば結構です。 6月8日 会津の方から佐倉藩と会津藩の関係についての問い合わせあり。 こちらから佐倉を訪れた会津藩士、小柴小次郎と会津、松本良順と会津、戊辰戦争時に会津藩士の傷を治療した佐藤尚中、 向井流水術、それから明治になって津田梅子と大山捨松の関係、野口英世が国鉄佐倉駅で撮った写真などのできごとがあったことを伝える。 こうして書いてみると、いろいろな繋がりがあるんですね。 6月4日 『満開佐倉文庫年報 −平成18年(2006)版』の訂正部分あり。訂正をする。 6月3日 『満開佐倉文庫年報 −平成18年(2006)版』完成。右欄下に掲載しましたので、興味のある方はプリントしてください。 ちなみに、私はプリントしたあとホチキスで留めます。それから、ホチキス針の留めた部分をたたいて平らにします。そのあと、製本テープで背ばりをします。 背ばりをする前に、ホチキス針の留めた部分をたたいておくと、仕上がりがきれいになります。 好みによっては、表紙代わりに硬い透明のビニールをはさむことも、また色のついたコピー用紙で表紙をつくるのも良いでしょう。各自の工夫で製本をしてください。 節の介さんと、えりっぷさんが「司書の窓」に書かれた文章は、右欄にも掲載しました。ご覧ください。 6月2日 5月の訪問者(アクセス)数 1,506人 一日平均 48.5人 満開佐倉文庫の運営が8年目に入りました。これからも、よろしくお願いします。 5月28日 えりっぷさんからメールあり 今朝開いたらもう70008人目になっていました。 <返信> おかげさまで、1年間の平均アクセス数が10,000となりました。 これからも、よろしくお願いします。 5月25日 年報作成中 5月24日 〔微妙な数字〕 インターネットにホームページをアップしたのが、2000年6月1日。まもなく、7周年目となります。そして、カウンターの数字が69,851。カウンターの数字が5月中に70,000になれば、1年間に文庫を訪れた人の平均が10,000となります。 ここが微妙なんですね。図書とは関係のない話ですが、1年間に訪れた人の平均が10,000となるか、ならないかという数字は、運営をしている者として少々気になるところです。 5月も残すところ数日。これまで、カウンターの数字など気にすることはありませんでしたが、今回、どのようになるかが楽しみです。ま、それでどうこうというものではありませんが、みなさんも、何日に70,000を超えるのかを見ていてください。 5月14日 「佐倉にゆかりのある人を探す辞典」に、佐藤正安と為永春江を追加しました。 5月9日 年報作成中 5月6日 各ページの点検を行う。ページが切れている箇所があり修復。文字の大きさはページにより不統一であるが、大きい文字も捨てがたく、そのままにしておく。データのボリュウムが増えたページだけ、小文字にしていく。 5月4日 年報に、「司書の窓」というコーナーがあります。これは満開佐倉文庫の司書さんが、日ごろ文庫に思っていることを綴るものです。文庫との出会い、文庫に期待することなどの感想をお待ちしています。 字数は昨年の長さ程度でお願いします(行数でいうならば10〜15行)。なお、右欄に「司書の窓」コーナーをつくりました。ご覧ください。 例年、6月に行っている開設記念オフ会、今年は所用があり忙しいので、時間がとれたところで行います。(オフ会の記事、まぎらわしいので訂正) 5月3日 平成18年(2006年)版年報づくりをしようと、まずは昨年の日誌を見ています。 あんなことが昨年の話だったのか、あの人との出会いもあったのか、あんな本が出ていたのかと・・・。たまには一年を振り返ってみるのもいいですね。そして、今年はどのような出会いがあるのか、楽しみです。 5月2日 4月の訪問者(アクセス)数 1,350人 一日平均 45人 4月28日 連休が始まりました。私は家でゴロゴロとしています。これが気持ちいい。 4月18日 〔満開佐倉文庫についての考え方〕 1、満開佐倉文庫は、施設や貸し出す蔵書を持たない個人がインターネット内に仮想の図書館(電子図書館)をつくり、文庫が認定した司書とともに地域の図書情報やその他の情報を提供し、共有する。 2、地域の図書情報やその他の情報は個人でも十分に収集することができ、しかも素早く提供することができる。そこに個人が運営できる電子図書館の可能性があると考える。 3、地域の図書情報に関するレファレンスをおこなう。 4、満開佐倉文庫は、同好の仲間が「つどう場」「つなぐ場」「まなぶ場」であり、社会教育施設的な要素を持つ。 5、地域の図書情報やその他の情報を集めていく過程で、地域に愛着をもち、地域を理解する心が育まれる。 6、地域の図書情報やその他の情報を提供することにより、地域文化の紹介と向上につながり、まちづくりの一助となる。 7、運営は、楽しいと思うところまでが「文庫の身の丈」であり、それ以上の無理はしない。 〔収集指針〕 8、地域の今を集め 今を整理し 今を伝える。具体的には「佐倉と印旛沼」に関した本の図書情報を収集する。 〔満開佐倉文庫への感想(評価と考える)〕 4月17日 えりっぷさんからメールあり 今の図書館学もインターネットの分野まで学んでいかなくてはいけないんですね。私たちが学んでいたころは本が好きであれば、機械などとは無縁のところにいたんですが。 館主さまも、ひとつひとつ調べたり学んでいかれた結果の今のホームページがあるのではないでしょうか。ホームページがどんどん認められていくことはとても喜ばしいこととおもいます。その意味でもおめでとうございます。 しかし、あまりがんばりすぎて、お疲れにならないようほどほどで宜しくお願いします。寒暖のはげしいこの頃です。お体ご自愛ください。 〈返信〉 お気遣いいただきましてありがとうございます。結局、好きなんですね。体に気をつけながら、やっていきます。 2007年4月16日 知人から情報あり 満開佐倉文庫が、亜細亜大学の「図書館特論」の中で紹介されているという。図書館特論では、「電子図書館」について学ぶ項目があり、「さまざまな電子図書館像」の一つとして満開佐倉文庫が紹介されているという。 ご覧ください。 4月15日 節の介さんから佐倉情報のメールあり 第19回佐倉チューリップまつり会場で咲いている「アイスクリーム」がどんなものか観察してきました。 アイスクリーム1 アイスクリーム2 〈返信〉 これが噂のアイスクリームという名前のチューリップですか。確かにおいしそうですね。これで匂いがついたら、もう最高です。ちなみに私はバニラが好きです。 ありがとうございました。 4月14日 このところ長い時間ではないが雨が続く。草花にとっては、恵みの雨。花が競って咲いている。 4月11日 今日は歓送迎会。この歓送迎会というつながりも、あと数年で終わる。毎年、一年が速くなる。 新聞情報 〔佐倉ふるさと広場のチューリップまつりが始まる〕 佐倉市に春を告げるチューリップまつりが始まった(11日〜15日)。今回は19回目。112種類48万本のチューリップが咲く。(2007年4月8日 千葉日報) 4月7日 節の介さんからメールあり 満開佐倉文庫認定の「佐倉の桜」標本木の4/7午前の写真 1、 2 です。まだ満開が続いています。 なお、本日はJR東日本の「駅からハイキング」が催されており、参加してきました。 城南堤の桜や城南橋からの菜の花 と桜の写真も添付します。 〈返信〉 ありがとうございました。たびたびの観察に感謝しております。 「駅からハイキング」は、すごい人気ですね。本日は天候もよく、桜も満開とあって、みなさん大いに満足したことと思います。来年もお待ちしています。 4月5日 城址公園の夜桜見物。満開佐倉文庫認定の「佐倉の桜」標本木も見物してきました。風はないが、体の芯まで冷えてきた。 4月3日 これまで連載小説「城下町慕情」を掲載してくれた黒田碧さんの「あとがき」を、3月20日で紹介しました。あのときは、「あとがき」を紹介するだけでしたので、今回、私の感想を話します。 まずは、ごくろうさまでした。このようなホームページに書き下ろしの小説を書いていただいたことに感謝申し上げます。 連載は、毎月ほとんど途切れることなく2年半にも及びました。ですから、連載をお願いしたときから考えれば3年近くは経っているものと思います。 この間、黒田さんにとっては大変なご苦労があったことを知りました。お会いしたときには、そのような素振りは見せず、にこやかに「お願いします。」と原稿を置いていってくれました。 原稿は夜中に打ちますが、いつも「この先はどうなるのだろうか」と楽しみにしていました。時には、私が主人公の彰になったような錯覚に陥ることもありました。 黒田さんからいつものように原稿をいただきながら、「次回が最終回になるかな・・・」といわれたときには、寂しさを覚えました。 そして、最終回を打ち終えたときには、無事に原稿を出せたことに安堵しました。 ホームページ「満開佐倉文庫」の目的は、佐倉が出てくる本を集めるということでした。しかし、集めるだけでは物足りないと思うようになりました。そして、ホームページで佐倉が出てくる小説を連載したいと思うようになったのです。 ホームページの可能性というのでしょうか、それは満開佐倉文庫の可能性と言い換えることもできると思いますが、ホームページでどれだけできるのかということを試してみたいと思いました。そのようなことで佐倉が出てくる小説を書ける人を探していました。 黒田さんとは思いがけないところで出会い、構想を話して、もう3年経ってしまったのです。 あっという間の3年間でした。黒田さんの、これからのご活躍を期待します。 4月1日 3月の訪問者(アクセス)数 合計 1674人 1日平均 54人 えりっぷさんからメールあり こんにちは。いよいよ新年度が始まります。去年はこのホームページに出会えたおかげで、色々勉強させていただきました。今年は初心にかえって、自分のために本を読む年にしていこうと思います。何か発見したらご報告します。 〈返信〉 満開佐倉文庫を通じて、読書が深まることは良いことですね。そのようなみなさまの感想を、「満開佐倉文庫だより」の右欄「運営について」という項目の中に掲載しています。 みなさまの感想から、満開佐倉文庫の運営が所期の目的にそって歩んでいるように思います。みなさまの感想をお待ちしています。 3月29日 〈ご紹介〉 ホームページの許容量が満杯だったため。これまで節の介さんからいただいていた写真を、ご紹介できませんでした。遅れましたが、ここにご紹介します。 1、3月21日、13時に撮影した城跡公園のさくら標本木のつぼみです。まだ、開花宣言には至りません。 2、バスのヘッドマークの写真(1) (2)を送付します。それと、抜けていました歴博のバス停写真を送付します。 3、3月24日、10時に撮影した城跡公園のさくら標本木のつぼみです。開花宣言は、まだ出せません。 4、3月25日、17時30分に撮影した城跡公園の「佐倉の桜」標本木です。撮影していないものも含めて、7輪の開花を確認しました。 3月28日 Y2さんからメールあり 佐倉市から、佐倉通の認定証が届きました。 こんな賞状です。 * Y2さんから、以前、「こうほう佐倉の1月1日号に掲載された『佐倉通』認定試験問題を解くに際し、貴文庫の資料から、いくつかの解答やヒントを得ることが出来ました。どうもありがとうございました。」というメールをいただいていました。 〈返信〉 よかったですね。満開佐倉文庫がこのような形でお役に立てたことは、うれしいことです。これからも、ご利用ください。 3月27日 Mさんからメールあり 館主さまからメールを貰いまして、ネットで為永春江のことを調べていましたら、「国文学研究資料館」の近代書誌データベースに、『姫路美譚 梅雨の松風』がありました。すでに御承知とは思いますが、念の為に御報告します。 この本の巻頭に「在佐倉 為永春江識」の署名がある序詞があります。文章を読めば佐倉は古里(舊里)に当たるようです。ということは彼も佐倉出身になりますか。このデータベース紹介の図書は明治十八年一月刊行の初版のようです。「出版免許年時 明治17年10月22日御届」とあります。 国立国会図書館のデジタルライブラリーにもこの本の画像があります。明治十八年一月と明治十九年十二月の刊行本ですが、「国文学研究資料館」の近代書誌データベースの書影とは少し違っていました。 ところで、先のメールにありました「明治17年ごろ息子の住む佐倉に移ったとあります」の典拠は何でしょうか。「戯作と投稿で有名な為永春江」の典拠は、野崎左文の「明治初期の新聞小説」辺りだと思います。これは、『私の見た明治文壇1』(平凡社)に収録されていました。と云うことは、為永春江の名前は出ていた筈です。すっかり見落としていました。 〈返信〉 ありがとうございます。知りませんでした。私が以前、お話した為永春江の出典は、興津要『仮名垣魯文』(有隣新書 平成5年)で、「戯作と投稿に有名な為永春江は、風塵を厭う心より、一時、東京を去て、折から子息の下総佐倉に奉職して居らるれば、其許に至り、静かに老を楽しむとて」とあります。 私は、ここしか知りませんでしたので、為永春江と佐倉とはどのような関係かを調べていました。これで、佐倉とのつながりがわかりました。新発見情報です。これから為永春江という人物や作品などを調べていきますので、ご教示ください。 3月26日 本日、満開佐倉文庫のドメインを取得しました。ドメイン名はmankai-sakura.comです。wakwakのホームーページ作成許容量が限界になっていましたので、、データを少しこちらに移す作業を行います。 3月25日 節の介さんからメールあり お待たせしました!本日、満開佐倉文庫認定の「佐倉の桜」標本木を観察の結果、7輪の開花を確認しました。よって、今年の開花日を本日(25日)と宣言します。 観察報告 本日、17時30分、城跡公園にある「佐倉の桜」標本木の写真です。これらは、昨日には開花していませんでしたので、今日の開花と判断しました。 感想 なんとか開花日を特定しようと、むきになってお城通いを続けましたが、自然観察がこんなに大変とは思いもよりませんでした。 今年は、開花が早く、春分の日も観察に行けましたし、日曜に開花したので開花日を特定できましたが、来年は、今年のようにしつこく観察することは出来ないと思われます。理科に走りすぎないで、花を楽しむことにします。 〈返信〉 ありがとうございました。たいへんなことを気軽に頼んでしまって反省しています。これから花を愛でてください。 満開佐倉文庫認定の「佐倉の桜」標本木の開花は、本日、25日といたします。城址公園のお花見を予定しているみなさんの参考としていただければ、節の介さんのご苦労が報われることと思います。 3月23日 今年は定年を迎える知人の送別会が重なって、飲み会が続いている。定年を迎える知人が多いということは、自分もそのような年に近づいてきたのだろう。 同席した知人とは、「定年まであと何年」とか「定年後は何をするか」という話が、ごく普通に出てくる。そして、知人に問いかけながら、さて自分はどうするのだろうかと思ったりしている。 ホームページを立ち上げたのは50歳のときであった。深い意味はないが、とりあえず10年できればいいかなあと思った。この6月で7周年を迎えようとしている。時の速さを感じる一日であった。 3月22日 えりっぷさんからメールあり 最近同僚に聞かれたのですが、「テレビで何度か「吉高の桜」というのを見たけど結構有名な山桜らしいけど、どこにあるかわからない?」というのです。申し訳ないことに私は知りません。今佐倉市内の桜の見所をガイドブックや去年のこうほう佐倉4月1日号などで調べていますが見かけません。 「吉高の大桜」というのが風媒花17号に載っているようですが。ご存知でしたら、教えてください。 それから、志津地区の桜は「南志津公園」と「上志津原ふれあいどおり」がおすすめですが、まだまだというところです。「上志津原児童公園」のピンクの桜は散り始めてました。 〈返信〉 吉高は、印旛村にあります。印旛村のホームページをご覧になると「吉高の桜」が出ていると思います。 3月21日 K3さんからメールあり 郷土資料・著者一覧にある白鳥浩治さんの名前、孝治ではありませんか。 〈返信〉 間違えていました。申し訳ありません。 ★★★ えりっぷさんからメールあり 「しづのまちづくり」と相互リンクになったそうですね。志津地区の佐倉市民としては感激です。人口増加の著しい志津地区の人たちにもっと佐倉の歴史を学ぶ喜びが伝わっていってほしいと思います。 3月20日 黒田碧さんの連載小説『城下町慕情』最終回を掲載しました。黒田さんには、2年半に渡り連載をしていただきました。その間、いろいろなご苦労があったと、あとがきに書かれています。本当にありがとうございました。 私も、黒田さんとの思い出を書きたいことがありますが、本日は小説の「あとがき」のみを掲載させていただきます。 あとがき こんなに長い期間、連載するとは当初考えてもみませんでした。中盤に差しか かる頃、癌が見つかり手術をしました。また、母が倒れ入院し、退院後も続け て二度の骨折で一時は寝たきりの介護も覚悟したほどです。その母の介護は姉 たちと、介護保険で公の皆さんの手助けもあって、何とか切り抜けてきました。 幸い母は寝たきりにはならずに済みました。私はこのたった二年間で、人生の 曲がり角を何度も経験しながらこの小説を書き進めて参りました。連載を読ん でくださっている方々におきましては、話の進行が途切れてご迷惑をおかけい たしましたことを深くお詫び申し上げます。 インターネット図書館での小説連載は初めての体験ではありましたが、とても 楽しく書き進めることができました。高校時代の友人数人と沖縄旅行した時も、 ホテルのパソコンで検索して自分の小説に出会ったときは(当たり前のことで あっても)、やっぱりとっても感動いたしました。 人は誰でも、大切な思い出を一つくらいは心の小箱にしまってあるのではないで しょうか?そして、そんな切ない思い出は、死ぬまで鮮烈に心の奥底で生き続け ているのです。そんな切ない想いをこの小説に託しました。もし機会がありまし たら立原道造の『夏の弔い』という詩をお読みください。ここからヒントをいた だいて『城下町慕情』を書きました。 この作品を、佐倉を愛する方々と、佐倉高出身の方々と、そして『満開佐倉文庫』 の読書の方々へお贈り致します。 またパソコンが使えない私の原稿を毎回打ち込んでくださった館主様にも、この 場を借りまして改めてお礼を申し上げます。長い間、本当にありがとうございまし た。 黒田碧 3月18日 ホームページの許容量を増やすために、新たにドメインを取得中。来週には取得できそうです。 ★★★ ホームページ「しづのまちづくり」と相互リンクを行うこととなりました。リンク集に掲載しましたので、ご覧ください。 3月17日 満開佐倉文庫へのメールアドレスは、mankai@au.wakwak.comをご利用ください。従来のアドレスも使えますが、このほうが簡単です。 昨年の夏、このアドレスで届かないという話をお聞きしました。今、こちらの単純ミスで、アドレスを設定したいなかったということに気が付きました。メールが届かないと電話をいただいたみなさまにお詫びいたします。 不安な方は「館主へのメール」で、送ってください。このアドレスを変更してありますので、一度使うと登録できると思います。 3月15日 ホームページの許容量が超えてしまったため、思うように更新ができなくなりました。 現在、新しいプロバイダー業者を検討しています。決まりましたら、そこの業者が提供するホームページ設定をし、アップロードなどの作業を行います。要は、これから新しいホームページをつくる、ということになります。 次に、従来のホームページに掲載してあるデータを、少し移動させて、従来のホームページの容量を軽くします。このような作業は、3月末までかかるのではないかと思っています。 毎日のようにお越しいただいているみなさまには申し訳ありませんが、しばらくご不便をおかけします。 3月14日 ホームページ作成の許容量が少なくなってきたため、みなさんからいただいた画像の画質をさげさせていただいたり、画面を小さくさせていただく作業をしています。 すばらしい画像をいただきながら、このような作業をするのは心苦しいのですが、情報量確保のためご理解をいただきたいと思います。 3月13日 えりっぷさんからメールあり 今年も佐倉市立図書館で募集した、市民読書感想文集「さくらおぐるま」38号が発刊されました。今年は教育委員会で提唱している佐倉学という新たな部門ができたのでどのくらいの人が投稿してるのかなと思っていたのですが、一般は2人ということでちょっと意外でした。 結構佐倉についての本を読んでおられる方もいらっしゃると思いますので、みなさんの発表の場にできたら楽しくなりますね。 〈返信〉 佐倉学は、佐倉の歴史・自然・文化を学び、郷土への理解と愛着を深めてもらいたいという趣旨だそうです。当ホームページでも、その趣旨に合致するところですので、大いにサポートしていきたいと思います。 来年は、ぜひ佐倉が出てくる本(小説)の感想文を送りましょう。そうそう、図書館では小・中学生向けに佐倉学推薦図書というものも選定しています。その中には、一般の方でも十分に読める本が多くあります。これも参考にするのも良いのではないかと思います。ちょっと、佐倉学の宣伝をしてしまいました。 3月12日 先週の土曜日(10日)、某公民館で「ホームページ作成について」という話をしてきました。私はホームページをつくるにあたって、「楽しい」ということが原点であると思っています。 「・・せねばならない」と思ったら、苦痛になります。楽しいと思うところまでが、自分の身の丈にあっているのだと思います。 ホームページをつくるにあたって注意しているところは、人権や著作権の問題です。それから、みなさんがみて楽しいと思うような内容にしたいと思っています。 しばらく一人で話した後、参加者と対話形式の話合いになりました。 私のホームページを見ている人は、どれくらい広がりを持っているのでしょうかという質問に対しては、市内に限らず、成田市、印西市、山武市、市川市、浦安市、水戸市、佐賀市、東京都、中国などの方からメールをいただいていますと話しました。 ホームページはローカルなテーマですが、意外と広がりを持っていますね。その多くの人とお会いしたことがありませんが、旧知の間柄のように話しています。 館主はいつごろページを更新するのですか、という質問に対しては、夜中ですと話しました。みなさんにメールを返信するのは、午前2時、3時になってしまいます。私のメール発信時間をみていただければわかります。 少し調べたりすると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。でも楽しいですね。私も学ばさせていただいています。 訪問者(アクセス)数は、人力でカウントしています。だいたい、午後8時から9時ころの間にホームページを開いて数字を確認をしています。 プロバイダーは2社に入っていますが、そろそろ許容量に近づいています。データが大量になったため、保存をどのようにしようかと考えています。 掲載してある佐倉本に漏れ落ちが多いのでは、という質問に対しては、ホームページに掲載してある佐倉本(「佐倉本著者一覧(アイウエオ順検索)」)は、データの一部でしかないと話しました。 ホームページに掲載してある「佐倉本著者一覧」と、やはりホームページに掲載してある「佐倉本データ・ベース 2006」を合わせないと、現在把握している佐倉本の総目録にはならないんです。 理由ですが「佐倉本データ・ベース 2006」に掲載してある本は私が2000年までに把握した本です。これを『満開佐倉文庫』という本に収録しました。そして、これ以降に把握した佐倉本はホームページに掲載してある「佐倉本著者一覧」になりますと話しました。 つまり、2つのデータを合わせないと、佐倉本の総資料にはならないということです。そのようなことで、みなさんに誤解や不便を与えてしまっています。 ならば、どうして合わせないのですかという質問に対しては、整理の方法が違ってしまって、今となってはそれを合わせるのに大変な作業量になってしまうので躊躇しているところですと話しました。 「佐倉本データ・ベース 2006」は、小説が描かれた時代順に並べています。これに対して「佐倉本著者一覧」はアイウエオ順に並べてしまったのですね。このどちらかを修正するのに一夏は十分にかかるくらいの作業量なんです。もう途方にくれています。 などなどの話をして、楽しい半日を過ごしました。 3月10日 「節の介」さんに司書になっていただきました。よろしくお願いします。 3月8日 Sさんから初メールあり 館主殿 黒田碧さんの「城下町慕情」を読ませて頂きました。私も多分同じ頃佐倉高校に通っていたと思います。情景が懐かしく、1年生の時の木造の校舎を思い出しました。 彰少年が剣道部に所属していたころ、多分私が知っているかぎりでは体育のS先生と生物のS先生が教えていたと思います。もし作者が同年代であればの話ですが。 それから、元銀行とマンションの間の細い急な坂道は、上がりきると私たちが、舟見町と言っていた、樹木の多い暗い古い住宅地でした。そうそう、生物のS先生は、この舟見町に住んでいました。何か取り止めのない話ですいません。 ついなつかしかったので、書いてみました。佐倉へ時々行くので、どこかであってるかもしれませんね。つづきを楽しみにしてます。さようなら。 〈返信〉 はじめまして。満開佐倉文庫を運営している亀田雄岳と申します。執筆している女性は佐倉高校出身で、黒田碧はペンネームです。 昨日、黒田さんから最終回の原稿をいただきました。これから、私が文字を入力します。入力しだい掲載しますので、楽しみにしていてください。 ☆☆☆ 2月の訪問者(アクセス)数 1628人 一日平均 58・1人 2月25日 Y3さんからメールあり 「開花標識桜」について 開花判断のルール等を調べようとして「標識」をコアにして、WEBで「*標識*」の類を検索しましたがなかなかヒットせず、いろいろトライしたところ、気象庁などでは、このような木を「標本木」と呼んでいるようです。貴文庫での表現の参考になれば幸甚です。 〈返信〉 ありがとうございました。さっそく、ホームページを訂正します。 2月20日 「佐倉観光フリーきっぷ」(ちばグリーンバス株式会社)のチラシをいただいた。バスの運行日は土・日・祝日・お盆の13日〜15日という限定。紙質は厚く、りっぱなものでした。 それはともかく、バスに乗り降り自由で1日500円とあったので、どなたか乗車体験し、お得な史跡散策ができるルートを考えていただけたら教えてください。せっかく、このようなバスを運行させてくれたのだから、私たちは大いに利用して盛り上げたいですね。 ☆☆☆ 知人から、私の紹介した佐倉本は、まだ掲載できないのですか、といわれた。ま、話のついでのことだから深い意味はない。 このところ、みなさんからいただく佐倉本情報が多くなってきて、まだ紹介できない本が何冊かあります。佐倉本として紹介する場合、引用部分とページまで書いていただけるとすぐに掲載できるのですが、「〇〇という本に出ていた」という情報だと、なかなか探せないんですね。 とにかく1冊の本を読まなければなりませんから、時間がかかってしまいます。そのようなことで、情報をいただけるときには、引用部分、ページ、発行年月、発行社を記載していただけるとありがたいです。 2月19日 Y3さんから城址公園の桜の便りあり 佐倉城址公園の、「カワヅザクラ」が開花していましたので写真をお送りします(2月18日撮影)。場所は、天守閣跡の左奥で番号が33,35と付いている木にはさまれた木(34番か?)です。 多くの樹木にきれいでわかりやすいネームプレート(桜を植える会による)が付いていました。 〈返信〉 カワヅザクラが咲く季節になったんですね。ありがとうございます。それから、できましたら私がかってに認定した佐倉の開花標識桜の開花予想状況を知らせてくれるとありがたいですね。 4月には多くの人が城址公園の桜を見物に訪れます。その方たちのために、桜の開花予想状況があると便利です。今年、城址公園が”満開桜”になるのは、何日なんでしょうかね。 ☆☆☆ テレビ情報 放映日 2月23日(金)午後23時45分〜24時15分(この日の開始は、通常の45分遅れです) テレビ局 日本テレビ 番組 「未来創造堂」 司会 木梨憲武 西尾由佳理 佐倉市内でロケが行なわれました。どうぞご覧ください。 2月16日 えりっぷさんからメールあり 以前、山のことを調べたいとおっしゃっておられていたと記憶していますが、ちょっと面白い本を見つけました。 谷有二著「山の名前の謎解き事典」青春文庫です。事典とはありますが、古文書や伝説いろいろなパターンでの山の名の由来を解明しています。佐倉山は載っていませんが、いかに名前の由来を探しだすのが大変かがわかりました。 また、想像力も必要だということも。少し余裕ができたら会津風土記など取り寄せてみたいと思います。 〈返信〉 「佐倉」をキーワードとして読書をしながら、関連した本へ読書が広がっていくことはすばらしいことですね。「佐倉」を探しながら、「佐倉」を離れていっても良いんですね。 私は、「佐倉探し」の読書を、一つの読書法(「地域探しの読書法」と呼んでいます)と考えていますが、結果として「佐倉」が見つからなくても良いと思います。 大きく見れば、「佐倉」を探しながら読書が好きになれば良いのですから。 「佐倉」を探しながら出会えなかったという話も面白いですね。とにかく「佐倉」に当たる確率のほうが極端に少ないのですから、がっかりした話などがいろいろあると思います。これからもメールをお待ちしています。 2月15日 銀狐さんからメールあり 以前、広田彬について調べている人がいましたね。『佐倉市史』巻三を読んでいましたら、明治22年に「佐倉新町外十一ケ町戸長広田彬」という表がありました(127頁)。 興味がありましたら、ご覧ください。 〈返信〉 ありがとうございました。 ☆☆☆ M3さんからメールあり 以前、紹介された本について、満開佐倉文庫にうかがって話を聞きたいのですが。 〈返信〉 申し訳ありませんが、満開佐倉文庫はインターネット上の架空の図書館ですから、お出でいただこうにも建物がありません。 それから、満開佐倉文庫は図書情報を提供するだけのサービスしかしておりませんので、紹介された本を使うかどうかについてはK3さんが判断をしていただきたいと思います。 2月13日 ホームタウン佐倉さんからメールあり 館主さま、三連休はどのようにおすごしでしょうか? もしかすると勤務かも。 さて、通俗小説ですが、城昌幸著「若さま侍捕物手帳、双色渦巻」(1994年春陽堂書店発行・春陽堂文庫、佐倉図書館所蔵)に「印旛沼」の記述がありました。 下総国大和田在へ若さまが出掛ける「地獄図絵」のなかで、「このあたりは印旛沼と手賀沼との中間地帯でたいした起伏もない一面の平野だ」(p231) 「釣りをなさるならここから二里ばかり離れた印旛沼のほとりに下屋敷があるので、ご案内しましょうと言われ…行ってみると印旛沼の水に臨んだその下屋敷は、いささか風雅な作りのこじんまりした構えで」(p234)の描写があります。 印旛沼は単なる風景描写に過ぎず、もちろん事件とは何の関係ありませんがお知らせします。 2月1日千葉ー木更津間に「SLちばDC号」、3,4,10,11,12,13日木更津ー館山間に「SL南房総号」がD51498により運転されたことはご存知と思いますが、私も2月1日と11日に撮影に出向きました。 どこもかしこもすごいカメラ持参の凄い人出で、なかには那古船形付近で線路に寝そべった60歳代の馬鹿者もいた(目撃者のブログでの情報によれば、夫婦連れの近所の人とか。警察官が注意したとかいいますが列車往来妨害罪で検束すべきでしょう)ようですが、本当の鉄道フアンであれば、可能であっても線路に寝て写した写真などはアングル的にも撮らないでしょう。 危険で何度も列車が急停車とも新聞に書いてありましたが、僅かばかりの不心得者のお陰で、千葉では今後SLは走らないことになることを恐れます。 それはともかく機関車側面に表示の配置区名標札が2月1日は千葉機関区を示す「千」でありましたが、2月11日は佐倉機関区を表す「佐」でした。実際は高崎に配置ですから「高」の筈ですが、千葉県下を走るので粋なサービスといえましょう。 ただしD51は新小岩ー千葉ー佐倉間の貨物列車を牽引していましたが、佐倉機関区にも千葉機関区にも配置はされていませんでした。「SL南房総号」の写真を駄作ですがお眼に掛けます。 D51498配置区標は「佐」 SL南房総号・館山駅 SL南房総号・保田付近 ご笑覧ください。 〈返信〉 知りませんでした。探してみます。最近、佐倉本の情報が多くて、うれしい悲鳴をあげています。 線路で寝そべられては、列車全体を撮ろうとした人にとって、その人がじゃまになって絵にならなかったでしょうね。カメラを趣味とする者として、みんなの迷惑になる撮り方はやめてもらいたいですね。 ホームタウン佐倉さんは鉄道を撮りなれているだけにアングルが良いですね。それから「佐」の字が良いですね。記念になります。ありがとうございました。 2月12日 Y3さんから初メールあり はじめまして。貴文庫の「佐倉連隊情報」のコーナーで写真の中の戦車の型式が分からないとのこと。次の情報が参考になるのではと思い、連絡します。 参照:SEIBIDO MOOK 「太平洋戦争 日本帝国陸軍 日本軍隊史上最大の組織」 (成美堂出版 2000年4月15日)P32〜35と見比べると、九五式軽戦車ではないでしょうか。 ・一般知識 九五式とは、皇紀2595年(1935年、昭和10年)の「95」、四式とは、皇紀2604年の「4」を用いた呼称だそうです。 ・九五式軽戦車 昭和8年7月に開発 昭和8年9月に試作を発注 昭和9年6月に試作第1号車が完成 昭和10年5月に「九五式軽戦車」と呼ぶことが正式に決定 昭和10年12月16日に仮制式制定 昭和12年7月 戦地での初陣 昭和11年から昭和18年度まで、2378輌が量産された。 〈返信〉 ありがとうございました。参考になります。 2月12日 Y2さんからメールあり 満開佐倉文庫 館長さま このたび、市の広報紙「こうほう佐倉」で募集した「佐倉通」の試験に合格し、「佐倉通」認定を受けることが出来ました。 貴文庫の情報を利用していなかったら解答出来なかった設問もいくつかありました。遅くなりましたが、ご報告とお礼とさせていただきます。 〈返信〉 おめでとうございます。 このようなことで当ホームページが活用されることは、館主にとってありがたいことです。Y2さんの感想をいただいて、満開佐倉文庫を運営していてよかったと思います。 これからも、どんどんご利用ください。Y2さんの、「佐倉通」としてのご活躍を期待しています。 ☆☆☆ 新聞情報 〔佐倉の町をバスで観光〕 旧城下町である佐倉に循環バスの運行が始まります(2月10日から)。バスの運行は、ちばグリーンバス(本社・佐倉市)。京成佐倉駅→国立歴史民俗博物館→宮小路→JR佐倉駅→市立美術館→佐倉小入口→旧堀田邸→順天堂病院→京成佐倉駅に戻る9・8`のコース。 観光客の多い土、日、祝日と8月13日〜15日に、1日8本運行する(年末年始の12月27日〜1月4日は運休)。運賃は区間によって160円〜170円。また同社は「佐倉観光フリー切符」も、バスを運行する日に発売する。(2007年2月10日 朝日新聞朝刊 千葉版) 〈コメント〉 佐倉で観光バスが走ります。すごいですね。早く乗ってみたいです。 2月8日 ホームタウン佐倉さんからメールあり こんばんは。先日ご照会がありました雑誌「鉄道ピクトリアル」臨時増刊京成特集号が8日に書店販売開始となります。内容は263ページ全部が、すべて京成電鉄関連の記事と写真です。 佐倉関連では市内に現在お住まいの女性運転士第一号となった方のインタービュー記事が3ページにわたり掲載され、太平洋戦争中にアメリカ軍飛行機に銃撃を浴びながら電車を運転したり、京成佐倉駅で敵機から逃れるときに、陸軍将校が一番先に逃げ出した話などが綴られています。 写真では開通当時と考えられる臼井ー佐倉間、大佐倉ー酒々井間の線路際の信号機の背景に印旛沼などが写っているほか、戦後も旧京成佐倉駅、旧京成臼井駅などのほか、志津付近や印旛沼をバックにした1600形開運号を始め、佐倉付近の何枚かが掲載されています。 記事では50ページに亘り、現有電車が解説されているほか、ダイヤの変遷では京成佐倉の急行、特急停車の移り変わりなどが解ります。定価は1800円で毎月の通常号より、かなり高いですがボリュームから考えれば仕方がないでしょう。 関連して1月28日に一日だけ運転された旧塗色「開運号」の写真をお眼に掛けます。場所は臼井ー佐倉間とユーカリが丘ー臼井間です。 〈返信〉 ありがとうございました。さっそく購入しました。 雑誌「鉄道ピクトリアル」臨時増刊京成特集号(2007年3月 1800円 鉄道ピクトリアル) 写真、いつもながらすばらしいですね。やはり、鉄道を知っている人の撮り方だと思いました。 2月7日 Tさんからメールあり 佐倉に関する情報がありましたのでお知らせします。昨日(2/6)のテレビ朝日の「遠山の金さん」の悪役として「佐倉藩蔵奉行 稲葉主膳」という人物が出ていました。 ちなみに、遠山金四郎の時代は天保年間ですので、その時代の佐倉藩に蔵奉行という役職はありませんし、まして稲葉主膳という人物はおりません。(当たり前のことですが) 取りあえずご一報まで 〈返信〉 ありがとうございます。あくまでもテレビドラマとして楽しみましょう。 2月5日 1月の訪問者(アクセス)数 1199人 1日平均 38・67人 2月4日 昨日から1泊2日で京都府伏見区にある淀にでかけていた。佐倉藩関係の探訪である。 佐倉藩主であった稲葉正知が享保8年に淀に転封となり、以後、明治維新まで稲葉家が藩主となった。この稲葉正知に従って藩士も淀に移った。淀に移って一年後、渡辺善右衛門が幼きころから住み慣れた佐倉の城下や近郊の有様を思い出して、町の様子や日常生活などを綴った本が『古今佐倉真佐子』である。 今回、筆者である善右衛門の住んだ淀を訪ねることにした。 京阪淀駅。駅を降りると京都競馬場であった。しかも、本日は日曜日で開催日。お客がごった返している。駅の脇に淀城跡があった。石垣である。城絵図を見ると宇治川、大津川、淀川に囲まれた水城であることがわかるが、今は、河川の付け替えや埋め立てにより、桂川と宇治川に挟まれているといった状況である。 淀藩は、戊辰戦争のきっかけとなった鳥羽・伏見の戦いのとき、幕府軍が敗走してきて助けを求めたのに開城をしなかった。このため市中が戦乱に巻き込まれている。長円寺、東運寺には「戊辰役東軍戦死者碑」が建てられている。また妙教寺には幕府軍の打った大砲が本堂の壁を突き抜け柱をえぐった跡が残り、戦いのすさまじさを伝えている。 善右衛門の墓は東運寺にあった。住職に供養をお願いする。少し薄日がさした淀から佐倉を想う。 道中、いろいろなものを見たが、帰ったばかりなので、記録に留めるだけとする。 1月31日 えりっぷさんからメールあり 長女が本屋さんで、大人の塗り絵のおひめさまバージョンを見たと感激でもどってきました。いろいろ絵柄を聞くと高橋真琴さんの絵ではないですか。 真琴さんは一月一日の「広報さくら」にも紹介されており、私も少女時代あこがれてました。大人の塗り絵はちょっとしたブームみたいですが、真琴さんの絵が二十歳過ぎの今時の娘の目にとまるとは。真琴さんのホームページの絵を見ながら、親娘の会話がはずみました。 〈返信〉 娘さんと本の話ができることはすばらしいですね。 1月30日 「佐倉にゆかりのある人を探す辞典」に、美術館で開催されている森谷延雄を追加。 ☆☆☆ ブック・オフ〇〇店から1円で購入した本が届く。果たしてどれほどのものなのだろうかと興味を覚えながら包みを開ける。普通!むしろ良い状態であった。 1冊1700円の本が、1円である。・・・考えてしまった。 ☆☆☆ えりっぷさんからメールあり かなりすごいことになってますね。銀狐さんの調べ方は勉強になります!私は明治期の鉄道に佐倉の人が関係していないか自己調査中です。参考になりそうな本を2冊見つけました。 「鉄道先人録」1972年刊 日本停車場株式会社と「鉄道ー明治創業回顧録」1981年築地書館です。残念ながら「吉見精」さんの名が「先人録」にあったのみで、他には見つかりませんでした。 でもこの2冊は明治の鉄道草創期に興味がある方にはお勧めします。 〈返信〉 ありがとうございました。吉見精は、旧佐倉藩士で明治になって沼津兵学校に入ります。「沼津兵学校関係主要人物一覧」に精の名前が見られます。精は明治29年、東京中野に日本で最初の鉄道連隊が置かれたとき、その大隊長となります。いわば鉄道連隊生みの親ですね。 1月29日 銀狐さんからメールあり こんばんは、館主様。銀狐です。昨年末は栄誉ある情報大賞を賜り感激しております。直ぐにでもお礼のメールをと思っていたのですが、いろいろありまして今日まで過ごしてしまいました。大変失礼致しました。 ただ、お礼が述べたいだけでなく、受賞の理由が「外部から佐倉がどの様に見られていたのか」の点に注目していただいている点が気になり、追伸したいと思っていたのです。 それは、「外部からどう見られている」かを佐倉サイドではどう受け止め・思っていたかです。つまり、正睦は一部から暗殺対象として見られていたと報告しましたが、そうした外部の評価を藩士たちはどの様に感じていたかです。 既にデータは八谷衣人が「低支持率?堀田内閣」で紹介している水戸藩の蘭学者(隠密?)鈴木大の報告に注目して戴きたいのです。(本ページ「電子執筆」項目にある『さくら・しゃべくる・くろにくる』参照) 小野寺慵斉が「正睦は才知力量無し、大名は育ち良く皆同じ。家老用人など左右に人無し」とか安井息軒が「正睦は才知は爪の垢程も無し、臣下に人材無し。西村茂樹もさしたる人物ではない。候の蘭学好きは経書よりも新奇な珍説を面白く思う程度」と答えているのは八谷さんのご紹介通りです。 しかし江戸にいて多くの情報を見聞きできる立場で且つ招聘された兵学者や儒学者のこの言葉を文面通りに受け取れないのは私の贔屓目でしょうか? 正睦の老中再任に際し水戸の斉昭は老中阿部正弘に文句を言っていますし、ハリスの将軍謁見後大名総都城に先立つ事前説明の意味で川路聖謨が水戸藩邸を訪問した際に斉昭は「堀田切腹・ハリス断首」と激昂したとか(あの阿部老中に「海防愚存」を提出して幕閣に影響力を及ぼしたあの水戸候ですよ)。既に当時から斉昭が正睦を単純に馬鹿と認識しているとは思えないのです。(川路は土岐頼旨・水野忠徳・岩瀬忠震と共に、ブレーン兼手足とも認められる人物ですよね。態々その人物に言うと言うもの見過ごせない力量と認めているのでは) 従って、鈴木が来佐の頃にはその旨も佐倉藩士は十分熟知しており、危険性も察知して寧ろそうした聡明さを必死になって打ち消したがって(隠したが)のではないかと思うのです。 また、態々息軒が弟子であっても藩士でない西村の名を上げ「さしたる人物ではない」と言及していることも変です。 即ち、両者とも鈴木の目論見を察知して十分警戒しての発言、寧ろ暗殺等の対象となるリストから関係者を(「大した奴じゃないよと欺いて」)守ろうとしているのではないかと…私は感じるのです。 まぁ、佐藤泰然に関しては既に江戸にて力量が知れ渡っているし、以前から暗殺リストに載っていることも承知ですから、素直に鈴木に「佐久良蘭学の張本人」と報告させても仕方なかったのでしょう。 また、一緒に事情聴取?を受けた窪田官兵衛など「学海余滴」で‘性奇癖’と称されるほどの人物が、逆に真っ当に批判していることも気になります。彼も蝦夷探検などで多くの藩外藩士の意見を聞いているでしょうし。(鈴木の来佐が安政4年頃とすると丁度2回目の探検から外されてクサッていたとしても)それほど外部に関して藩士は外からの評価に敏感で十二分に注意していたのではないかと思うのですが如何でしょう。チョット八谷さんの批評とは異なる見解ですが、これも面白いと思いませんか? 長々と失礼しました。では、今年も様々な情報に会えますように祈念しております。 〈返信〉 新しいご見解、拝聴しました。銀狐さんは、私の考えをさらに深く進めてくれたものと思っています。たとえていえば鏡が何枚も向かい合って、歴史の表が見えたり裏が見えたり、さらにその表が見えたというような気持ちです。 メールをいただいたばかりで検討をしていませんが、思い当たる節があります。それは、西村茂樹は天保年間に安井息軒に学び、頭角を現していきます。そして、安井息軒と西村茂樹の墓は東京の養源寺にあります。これは茂樹が師である安井息軒を慕っていたからと聞いています(記憶ですが)。 二人の関係は、そのようであったとするならば、銀狐さんの考えるように、息軒の言葉を額面どおりに受け取れないかも知れませんね。 それから、これまで小野寺慵斉という人物を読みすごしていましたが、少し調べてみると面白そうですね。兵学者とありますが、旧来の〇〇流なるものか、それとも西洋式の兵学者か。それによって考え方が随分違ってくるでしょうね。正睦は蘭学・西洋式の兵制を推進しますから、〇〇流なる兵学者は危機感を持っていたものと思われます。 などなど、まだ深くなりそうですね。まずは、メールのお礼をいたします。 1月28日 〔展示会のおしらせ〕 没後80年 森谷延雄 展―大正時代を駆け抜けた、夭折のデザイナー 会 期:平成19年1月23日(火)〜3月25日(日) 佐倉市立美術館 月曜休館(但し、2月12日(月・祝)は開館し、2月13日(火)は休館) 開館時間:午前10時―午後6時(入館は5時30分まで) 会 場:佐倉市立美術館2・3階展示室 主 催:佐倉市立美術館 特別協力:松戸市教育委員会 観 覧 料:一般400(320)円、大学・高校生200(160)円、中学生以下無料 ( )内は、前売りおよび20名以上の団体料金 佐倉市立美術館 Sakura City Museum of Art 〒285−0023 千葉県佐倉市新町210番地 電話043−485−7851FAX043−485−9892 URL http://www.city.sakura.lg.jp/museum/ ロマンあふれる文化が花開いた時期として知られる大正時代に、彗星のごとく現れ、夢あふれる家具や室内装飾を発表したデザイナーに森谷延雄がいます。 森谷延雄(1893-1927)は、明治26年、千葉県印旛郡佐倉町内宮小路町に生まれました。千葉県立佐倉中学校(現・千葉県立佐倉高等学校)卒業後、東京高等工業学校(現・東京工業大学)工業図案科に進み、在学中に各種展覧会で受賞するなど、早くからその才能を開花させました。 卒業後は、清水組に入社し、同社で「誠之堂」(大正5年竣工 国指定重要文化財)や「晩香廬」(大正6年竣工 国指定重要文化財)などの室内装飾をてがけます。その後、大正9年から一年半にわたり文部省在外研究員として主にイギリスで学び、大正11年からは開校直後の東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)で後進の指導にあたるかたわら、ドイツ表現主義の影響を受けたデザインを発表しました。 特に、大正14年の国民美術協会展に出品した《家具を主とせる寝室・書斎・食堂》の繊細で甘美なデザインは、センセーションを巻き起こします。一方で、森谷はコストの要求にかない、なおかつ美しい堅実な家具の制作を目指して家具工房「木のめ舎」を主宰して展覧会の準備をしますが、初日を見ることなく33歳という若さで突然その生涯を閉じました。 本展では、没後80年を経ても清新さを失わない、森谷延雄のデザイン世界を、家具・レプリカ・資料などで紹介します。 1月26日 ホームページ佐倉さんからメールあり 京成開運号についてお知らせしましたが、誤りがありましたので訂正します。 下り成田行きは八千代台で後続列車を退避のため停車し、佐倉は通過(停車しても短時間)のようです。したがって、下記のようなダイヤになります。 宗吾(回送)8:30→10:04上野 上野10:19→11:10八千代台11:16→佐倉11:28(通過?)→11:37成田 成田(回送)11:42→11:47宗吾 宗吾(回送)13:13→13:18成田 成田13:23→上野14:53 上りも佐倉での停車はよくわかりません。あるいは通過かも? 時刻は把握していません。13時40分 頃に通過の模様です。 〈返信〉 ありがとうございました。 1月25日 ホームタウン佐倉さんからメールあり ご承知でしょうが28日(日)に「開運」号が往時のヘッドマーク付きで昔の旧塗装で走ります。 宗吾(回送)8:30→10:04上野 上野10:19→11:16佐倉11:28→11:37成田 成田(回送)11:42→11:47宗吾 宗吾(回送)13:13→13:18成田 成田13:23→上野14:53 上りも佐倉で停車するようですが、時刻を把握していません。13時30分頃の模様です。 〈返信〉 ありがとうございました。さっそくホームページに掲載します。 1月24日 インターネットで本を買おうとしたら、単価はたったの1円であった。単行本が、である。しかも、ネットに出店した数店がみなこの値段。かつて神田の古書店で10円という文庫は見たことがあるが、1円は初めてだ。 添え書きを読むと、別に破損があるということも書いていない。そこで、さっそく注文することにした。送料は340円で、合計は341円であった。一体、一冊1円の本とはどのような本なんだろう。興味を覚える。 もう一冊は、定価の2倍であった。何で今も売られている本が定価の倍なのか?これはこれで納得がいかない。そこで、別の通販サイトを検索したら定価で購入できるとあった。どうなっているのだろうかと思いながら、こちらで注文をした。 1月21日 新聞情報 〔図書館の本を宅配〕 公共図書館で行われ始めた図書の宅配サービスの記事。2005年12月、佐倉市立図書館では「さくらブックお届け便」として、千葉県で最初にサービスを始めました。 (2007年1月21日 朝刊 読売新聞 千葉版) 1月17日 昨年、当ホームページを訪れてくれた人(アクセス数)は、15、407人でした。ありがとうございます。 本日、NHKの「クローズアップ現代」で、「佐倉の第九」の模様が一部分放送されました。内容は、「オーケストラが危ない〜岐路に立つ文化政策〜」の中で取り上げられたものです。 1月16日 トップページを平成19年用に修正。ようやく新年を迎えた気分になりました。 〈おしらせ〉 明日(17日)、NHKの「クローズアップ現代」で、「佐倉の第九」の模様(一部分)が放送予定。内容は、「オーケストラが危ない〜岐路に立つ文化政策〜(仮題)」の中で取り上げられるということです。ご覧ください。 1月15日 Y2さんから初メールあり はじめまして。こうほう佐倉の1月1日号に掲載された「佐倉通」認定試験問題を解くに際し、貴文庫の資料から、いくつかの解答やヒントを得ることが出来ました。どうもありがとうございました。貴文庫のさらなる発展を祈念します。 司書の一員になれたらいいなあと思いますが佐倉に住み始めて十数年の新入りで、残念ながら、手元には「佐倉」情報がありません。 〈返信〉 はじめまして。満開佐倉文庫を運営している亀田雄岳と申します。このたびは、ホームページを利用いただきましてありがとうございます。参考になることがあって幸いです。 ぜひ佐倉本を探して司書さんになってください。お待ちしています。佐倉本は、新刊の時代小説が当たる確率は高そうです。また幕末、蘭学、医学あたりも確率が高いです。 これからも、よろしくお願いします。 1月14日 Uさんからメールあり 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。パソコンがなおってよかったですね。 今年1月1日の讀賣新聞紙上で『フォーク30選』という企画がありました。めでたく、はしだのりひことシューベルツの『風』が選ばれていました。他にもフォークル『帰ってきたヨッパライ』、はしだのりひことクライマックス『花嫁』、ジローズ『戦争を知らない子供たち』も選ばれていたので満足しました。 〈返信〉 あけましておめでとうございます。パソコンがなおって、ほっとしています。フォーク30選に、4曲も選ばれたなんてすごいですね。これらの曲は、すぐにメロディーが出てきます。とても懐かしいです。 ☆☆☆ えりっぷさんからメールあり あけましておめでとうございます。そして、パソコン復帰おめでとうございます。毎日待っていました。 いろいろあって今、明治維新にはまっています。何か発見がありましたら、またメールさせてください。報告できる所があるとないとでは、自分の楽しみで調べるといえどやる気にものすごい違いがあるのを感じた昨年でした。今年もよろしくお願いします。 〈返信〉 あけましておめでとうございます。パソコンがなおって、データも残っており、ほっとしています。明治維新、面白そうですね。私も興味があります。情報を期待しています。 トップページを平成19年用に改変中。平成18年のデータを収納中。 1月13日 〈平成18年 満開佐倉文庫回想〉 ・今年は、新しい方から初メールをいただくことが多かった。何人かの方は、検索をしていったら満開佐倉文庫にたどり着いたと記してくれた。少しは、みなさまのお役に立てるようになったかなあと思う。 それから、文庫を訪れる方は佐倉という地域を超えて、広がってきたように感じる。 ・みなさんからいただいた情報の整理が、すんなりとできるようになった。これは「佐倉本」についての考え方が定まってきたからだろうと考える。 ☆☆☆ 黒田碧さんの連載小説「城下町慕情」23を掲載しました。いよいよ佳境に入ってきました。ご覧ください。 ☆☆☆ 12月の訪問者(アクセス)数、1340人 一日平均 43・2人 ありがとうございました。 1月12日 パソコン復旧。ご迷惑をおかけしました。今回の故障はウイルスによるのもではありませんでしたので、データは消滅していません。メールも受けられます。 これからトップページの項目を、徐々に平成19年用に変えていきます。 ☆☆☆ 昨年、12月30日からパソコンが故障となる。 トップページ |