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佐倉本情報 佐倉本は、小説、雑誌、同人誌などに佐倉が一文字でも出てくる冊子の総称です。 【図書の紹介にあたって】 図書を紹介するにあたっては、著者、題名、発行年、出版社を記入するほか、佐倉が出てくる部分を一部引用しています。これは、題名だけでは図書の内容がわからないため、利用者が図書を選ぶにあたっての目安としていただきたいと考えたからです。 引用にあたっては、掲載した文章の誤字、脱字もあろうかと思うので、利用者は原著を読み、原著から引用をしていただきたいと考えています。 また、引用部分は文庫で判断したため、著者の納得いただける引用部分ではないかも知れませんが、なにとぞ趣旨をご理解いただきたく、お願いいたします。 【20010年1月1日〜 】 7月24日 昨日の本について。 勝新太郎の映画「兵隊やくざ」を観てから、映画の原作となった『貴三郎一代記』を書いた有馬頼義氏に興味を持っていた。 「兵隊やくざ」を観ていると、どうも佐倉の歩兵第57連隊を想起してしまうからだ。 勝新太郎が配属となった部隊が軍旗を先頭に孫呉の駐屯地に到着する場面がある。 軍旗はぼろぼろとなっており、旗の周りにある総だけとなっていた。実は、この軍旗の状態が57連隊のものの状態と似ていたからだ。 もちろん、陸軍の軍旗は補修しないから、ほかの連隊もそうであっただろう。そうではあるが、映画のイメージを57連隊に重ね合わせてしまっていた。 『遺書配達人』の解説に真鍋元之氏が「有馬頼義は自筆の年譜をのこしていて、その1940(昭和15)年の項は、つぎのようになっている。 『二二歳。一月五日麻布東部二部隊に入隊。正式には歩兵第一連隊という。麻布は留守隊で、本隊は満州国黒河省孫呉にあり、五日目で、渡満した。 十日間汽車にゆられて孫呉に到着する。ソ連国境黒竜江に面した山の陣地にはいる』とある。 孫呉における57連隊は、1連隊より平地(湿地帯)に駐屯していたので「山の陣地」には入らなかったが、近接していた。有馬氏は第1連隊の除隊者交代要員として孫呉に送られたのである。 有馬氏が1連隊にいたのだから、「兵隊やくざ」に親しみを覚える。もう少し何かがあれば佐倉にゆかりのある映画と認定したいところである。 「遺書配達人」を読むと、第一師団が列車で南方に転進させられる様子が描かれていた。第一師団は上海に到着した後、レイテに向かうこととなっていた。 この場面を描いた小説は見当たらないので、ご覧ください。 7月23日 佐倉本情報 有馬頼義「遺書配達人」『遺書配達人』所収 兵隊小説伝記選6(1984年7月 光人社) 「昭和十九年八月二十日、北満州の孫呉に駐屯していた第四軍隷下の第一師団部隊に、動員令が下った。一万三千の兵力をもって、九月末日までに、 上海に集結せよ、というだけで、行く先は、そのとき明示されていない。第一師団の主力は、東京の歩兵第一連隊、佐倉の第五十七連隊、甲府の 第四十九連隊と、それに付属する特科隊、し重隊(「し」がパソコンで変換できず)であったが、この出動は、八月二十三日に予定され、第一連隊の兵員は、 連隊長以下、二千四百名であった。」(7P) 7月19日 Sさんから佐倉本情報あり 平岩弓枝「明石橋の殺人」『新・御宿かわせみ 花世の立春』(2010年1月 文藝春秋) 「どしゃ降りの最中に到着したお客だと千春が思い出している中に、正吉が宿帳を開いた。 武家風の固い書体で、印旛県佐倉 大泉吉太郎 ふみ と書いている。『印旛県とありますが、たしか千葉県と変っている筈ですよ』 正吉が机の上の帳面を開いた。『間違いありません。佐倉は佐倉県から印旛県に変って、明治六年の六月から千葉県となっています』(9P) 「止むなく、正吉が勘定書を作り、嘉助にみせてから治平へ差し出すと、『全く、厄介者の分際で、男に狂って大枚の金は持ち出す、 おまけに金だけ取られて男には捨てられる。どの面下げて佐倉へ帰りなさる気か』」(13P) 7月18日 Nさんから佐倉本情報あり 吉村昭『海の史劇』(2001年2月 新潮文庫) 本書は、日露戦争、特に日本海海戦を描いたものですが、この海戦によって多くのロシア人が捕虜になります。 そして、捕虜収容所の一つが「佐倉」であったと記されています(489P)。このように一文字でもいいんですよね。 <返信> 日本各地に設けられた捕虜収容所が列記される中で、一文字でも佐倉とあればOKです。 7月16日 Sさんから佐倉本情報あり 佐伯泰英『独り祝言 鎌倉河岸捕物控<十三の巻>』(2008年11月 角川書店) 「江戸城本丸と西ノ丸の東に接する和田倉門堀、馬場先堀、日比谷堀に囲まれた一角は、陸奥泉藩本多家、美濃高富藩、越後長岡藩、下総佐倉藩、 越後村上藩、武蔵忍藩、越前掬山(福井)藩、陸奥会津藩と老中、若年寄を務める譜代、親藩大名八家と、直参旗本御馬預諏訪部家の一家の、九家しかない。 千代田城の最後の砦である。」(127P) 7月15日 連合艦隊の空母「瑞鶴」の最後の艦長が貝塚武男という人物で、旧制佐倉中学卒業であると以前知ったのですが、そのままとなっていました。 さっそく、瑞鶴の出てくる本を探し始めました。 7月14日 Eさんから佐倉本情報あり 佐伯泰英『風雲 交代寄合伊那衆異聞』に、堀田正睦が出てくるとの情報をいただきました。数冊続きの本で、2巻から、よく出てくるとのことです。 さっそく、取り寄せてみます。 7月13日 Yさんから佐倉本情報あり 乙川優三郎「面影」『闇の華』所収(2009年4月 文藝春秋) 「江戸の留守居役へ佐藤尚中の書状を届けて一泊し、友人の立見と上屋敷を出たのは年の瀬の昼前であった。」(134P) 「息子が印旛沼で鯉のような鮒を釣ったことであった。」(138P) 「五十路を前にした主君の堀田正睦も老中首座として多忙を極めていた。」(140P) 「家臣で蕃書調所教授手伝の木村軍太郎が調印の準備に尽力していたことを知っていたから、ついに主従の苦労が結実したと思った。」(140P) 「それまで井伊の考え方に近かった彼は斉昭の思想を信奉する水戸家中に疎まれていたから、佐倉藩主としても過激な尊攘派の動きを警戒していた。」(142P) 「水戸佐倉道と呼ばれる往還がある。」(143P) 7月6日 節の介さんから佐倉本情報あり。 『江戸大名廃絶物語』(2009年8月 新人物往来社編・発行) 歴史から消えた53家が取り上げられており、 第5章「政争の敗者たち」で、P133から「松平乗邑〈下総佐倉藩〉吉宗思いの画策が 裏目(執筆者:典厩五郎)」が取り上げられ、延享2年10月に老中を免職、蟄居となった経緯等が 説明されています。 また、第6章「領地返上」で、P166から「堀田正信〈下総佐倉藩〉泰平の世を怒る 武辺狂(執筆者:中村整史朗)」が取り上げられ、万治3年11月に領地が収公された経緯等が 説明されています。 なお、佐倉藩主の期間ではないですが、第1章「廃絶御三家」で、P18から 「松平忠輝〈越後高田藩〉将軍が恐れた忠輝」が取り上げられ、元和2年に領国が 没収された経緯等が説明されています。 <返信> ありがとうございました。 6月12日 Wさんより、佐倉本情報あり はじめまして。 父が最後に読んだ本が、『都市の医師ー浜野弥四郎の軌跡 』(1993年7月)という本でした。 発行所は水道産業新聞社です。アマゾンで ようやく手に入れました。その本との出会いは、台湾に旅行で 行った時でした。 この親日さはどこから来るのと思った時に、友人に 聞いてみたところ、司馬遼太郎の『街道をゆく四十 台湾紀行』 (1994年11月)を読んでみたらと勧めらられて読んでみたところ、佐倉市の 出身の(実際のところはご養子なので、成田の方ですが)その 方が、当時順天堂と並び評される弘世堂病院のご養子(浜野弥 四郎)になりながら、台湾に渡って、その治水に尽力なさり、 その地に身を埋めたということを知りました(181P)。 父は、水道に興味を持っていましたので、晩年、『都市の医師ー浜野弥四郎氏の軌跡 』に出会えて幸福だったと思います。 本の56ページに 「私は社会教育課を訪ねた。引き違いのドアを開けて、私は室 内に入った。数名の職員が事務をとっている。静かな室内に突 然入ってきた訪問者に驚いて、室内の人々の目が私に集まった 。私は少々たじろぎながら最初に目のあった一番近くの人に用 件を話した。」とありました。 〈返信〉 最後に読んだ本が佐倉本だったのですね。いろいろな思いを巡らせていたことでしょうね。 それから、この本が出版された翌年、司馬氏の『街道をゆく四十 台湾紀行』が出版されますので、司馬氏は、 この本が出版されてまもなく手に入れたということになります。司馬氏の渉猟のすごさに驚きます。 5月21日 レントさんから佐倉本情報あり こんにちは。ご無沙汰しています。 先日、吉村昭の『海の史劇』を読んでいたところ、「佐倉」の文字が出てきました。新潮文庫で588ページです。 すでに、満開佐倉文庫では確認済みでしょうか。 日本海海戦の話で、ロシア人捕虜の収容施設のある場所の一つとして出てきました。 〈返信〉 久しぶりですね。知りませんでした。ありがとうございます。 4月11日 Iさんより、佐倉本情報あり 『歴史読本』5月号(2010年5月 新人物往来社) 春風亭昇太氏と中井均氏の対談「戦国の城が熱い!] があり、昇太氏は千葉の臼井城、本佐倉に行ってみたいと話しています。 4月10日 Uさんより、佐倉出身の歌手、YunaさんのCD「あいいろ」をいただきました。 ありがとうございます。 4月1日 Sさんから佐倉本情報をいただきました。 『2013年 順天堂創立175年』(2010年3月 順天堂) 歴代堂主、系図、歴史、関連史跡マップ、佐藤尚中先生顕彰碑大意などが記されています。 〈返信〉 ありがとうございました。 3月25日 Fさんより佐倉本情報あり 女性漫画雑誌 『月刊 あすか』(2010年5月号 角川書店) 秋川カイネさんの「パララボ」で、佐倉の武家屋敷がモデル絵として描かれています。 ストーリーでは、生徒会室が戸建て住宅で、家のモデルは旧但馬家です。 あとがきには「佐倉市の武家屋敷をモデルにしています。ぜひ読書の皆様も武家屋敷を見に行ってください」とありました。 3月10日 sophie.eさんから佐倉本情報あり 私は、司書番号No.026 の sophie.e でしたでしょうか。 佐倉の出てくる本をみつけましたので、ご報告です。 白井かなこ『ラ・ヴ』(2006年6月 講談社F文庫) 2006年6月28日刊なので、もしかしたら、 もうどなたか報告しているかもしれませんが。 私は最近知ったので・・・ ジャズシンガーの葉月は柏に住んでいるという設定で、 美咲を誘って佐倉の川村に行き、 お気に入りのロスコルームで、メジャーデビューが決まったことを美咲に告げる。 その後、美咲も、もう一度女優を目指すことを決める・・・。 という場面があります。 〈返信〉 もう、たいへんにごぶさたしています。6年ぶりぐらいになるでしょうかね。 ありがとうございました。 3月8日 ホームタウン佐倉さんから佐倉本情報あり 梅も満開の昨今ですが、お変わりありませんか。 図書館から借り出しの北川哲史著「鍛冶橋阿波騒動事件」(大和書房、 2007年12月)を読みますと「佐倉」が1ケ所だけ出て参りましたので、 ご参考までにお知らせします。 当時の旅人が、いくら足が早くても、江戸から渡船が2ケ所もあり、当然 時間を要すると思われるのにその日のうちに酒々井まで到着とは疑問 もありますが、作家の距離感のなさがそんなことを書かせたのでしょうか。 該当部分は下記のとうりです。 「明くる日、内膳と出羽小六(注、いずれも人名)は連れ立って酒々井村 へ出発した。江戸を出て荒川、江戸川を渡り、印旛郡に入って佐倉を 過ぎると酒々井村であった。朝早く出たために日のあるうちに酒々井 に着くことができた。竹屋という酒造家を訪ねた。」(p251) 3月7日 えりっぷさんから佐倉本情報あり パソコンが壊れてしまい、メールもできませんでした。本日やっとページが開けました。 志津図書館の駐車場脇、西志津多目的広場の河津桜も満開です。明日がさくら祭りとのことでしたが 雪が降るかもでどうなるか心配です。 高村薫『太陽を曳く馬』下巻(2009年7月刊 新潮社) 「佐倉の川村記念美術館へ足をのばし、バーネット・ニューマンの「アンナの光」を観てきました」(376P)とあります。 〈返信〉 ごぶさたしております。情報、ありがとうございました。 2月12日 節の介さんから佐倉本情報のメールあり。 『ウェブスター辞書と明治の知識人』早川 勇(春風社 2007年11月) この本は、ウェブスター辞書の歴史を整理した上で、 各種ウェブスター辞書とかかわり活動した明治の知識人の足跡をたどっています。 その中に、西村茂樹と津田仙が出てきます。 P172 「西村茂樹『記憶録』の一節は、当時の学習法を如実に物語っている。『英学の 初めは、ホーイベルグ又はボムホフ氏の英蘭辞書に拠り、初めは蘭語にて英語を引き、 再び和蘭字彙にて其蘭語の訳を求むるなり。』(松平直亮 一九三三、上巻三四六頁) 西村は儒教による国民道徳の興隆に努めた倫理学者である。」 P195-196 「慶応年間になるとウェブスター大辞書を手に入れた知識人も増えた。蘭学から転向した 西村茂樹(二・五を参照)も慶応三年にウェブスターを購入している。 『而して其翌三年正月十四日、始めて代金八両弐分を以て、ウェブストル辞書を購求せり、 (中略)而して当時同辞書が、英学者唯一の宝典たりしことは、其価格の非常に 高価なりしを看て、之を徴すべし。要するに先生は、此時多年の宿志漸く酬ゐられ、 是等貴重書を獲しを、心窃かに欣悦せしならん。』(松平直亮 一九三三、下巻六七三頁) 西村は下総佐倉の藩士で、明六社の創立に参加した。儒教による 国民道徳の交流に努めた倫理学者である。その西村がウェブスター辞書を『英学者 唯一の宝典』と呼んだのである。」 P200 「津田仙や箕作阮甫は安政四年(一八五七)にすでに英語を学び始めたと 思われる。」 注記:節の介 本文中の二・五はP172の記述のこと 本文中の(中略)は、原文のまま 本文中のP172「興隆」とP196「交流」は、原文のまま 引用している参考文献・松平直亮は、『泊翁西村茂樹伝』上下巻、日本公道会、一九三三 2月11日 佐倉情報? 太平洋戦争で活躍した空母「瑞鶴」の艦長貝塚武男大佐―少将(のち中将)は、旧制佐倉中出身との情報をいただきました。ところが、ネットでは佐原中とヒットします。 貝塚武男大佐はマリアナ沖海戦に参加。昭和19年10月25日、エンガノ沖海戦で小沢中将率いる囮艦隊の主力艦としてアメリカ軍の攻撃を引受け瑞鶴は沈没。 それまで「瑞鶴」は損傷を受けることがなく、栄光の空母とか、幸運の空母と言われています。 さっそく、神野正美『空母瑞鶴』(2008年11月 光人社)、豊田穣『瑞鶴―栄光の空母―』(1976年3月 毎日新聞社)を読み始めました。 映画「連合艦隊」(1981年)にも描かれています。みなさまの情報をお寄せください。 2月2日 節の介さんから佐倉本情報あり 『城郭みどころ事典 東国編』編者 西ヶ谷恭弘・多?正芳(2003年9月 東京堂出版) P84-87に佐倉城についての説明が有ります。 『歴史群像シリーズ よみがえる日本の城 2 江戸城』発行 学習研究社 2004年6月 P32-37に佐倉城についての説明が有ります。 トップページ |