【1月】
秋本喜久子『埋火(うずみび) 謙映院幾千子と堀田正睦』(2007年1月 1900円 新人物往来社)
堀田正愛に嫁いだ松江の松平不昧公の娘と正睦を描いた小説で、帯には「幕末、佐倉藩と堀田正睦を支えた女人の数奇な生涯」とあります。
一定の史実を基に彩を添えた小説で、歴史上の人物に温か味を与え身近に引き寄せてくれるている力作と思います。
表紙の彩り同様、女性らしい切り口で初めて正睦に豊かな人間味を持って描いてくれた作品ではないでしょうか。
千葉県商工労働部観光課・千葉県観光協会編『ちば眺望100景』(2007年1月 千葉県)
千葉県内で見晴らしの良い場所100選というもので、佐倉では「印旛沼サンセットヒルズ」(オートキャンプ場)が選ばれています。(22頁)
【3月】
『河川文化 河川文化を語る会講演集〈その23〉』(2007年3月 1000円 日本河川協会)
日本河川協会が毎月「河川文化を語る会」を開催した講演録。堀田和弘「湧き水の保全と活用『あれ これ』」で、印旛沼流域の湧き水の概要を述べている。
【4月】
『植物文化人物事典 江戸から近現代・植物に魅せられた人々』(2007年4月 日外アソシエーツ株式会社)
サクラオグルマの発見者与世里盛春さんについてやっと略歴が載っている本を見つけました。「明治23年4月17日〜昭和51年8月20日 教育者、植物研究家 小御門農学校校長沖縄県出生。沖縄師範学校卒。千葉県の成東中学校教頭を経て、昭和14年同県小御門農学校校長となる。
牧野富太郎の指導を受け、独自の博物教育を実践した。県中学博物研究会などの結成に参加する。郷里・沖縄の研究書も残した。著書に「千葉県の植物」「大和民俗の由来と琉球」など。」(559頁)
また、『千葉県大百科事典』で与世里さんの更に詳しい経歴を発見しました。『千葉県立中央博物館10年のあゆみ』の中で大口寄贈一覧の項目の最初に与世里さんの名を発見。
国会図書館のホームページのテーマ別調べ方案内という項目を発見しました。科学技術という項目の中に植物の学名を調べるためのインターネット上の情報源というのがありました。
いくつかのホームページでサクラオグルマを検索したのですが、「BGPlants和名ー学名インデックス(Ylist)植物名検索」の検索でサクラオグルマといれたらInula x Yosezatoana Makino,nom.nud とでてました。
井利儀一『燃ゆる水』第14話佐倉哀感(2007年4月 文芸社)
短いエッセイをまとめたもので、その第14話に佐倉が描かれています。「佐倉の街をこよなく愛している」と始まり、
城下町佐倉のよさと消えゆくものの哀れをつづっています。
【5月】
山ア光夫『風雲の人 小説大隈重信青春譜』(2007年5月 1700円 東洋経済新報社)
日本の政党内閣を組織し、早稲田大学を創設した大隈重信は爆弾テロにより、重傷を負う。大隈の足の切断手術をした人が順天堂の佐藤進であった。
「池田は佐藤進医師に執刀役を命じた。佐藤進はまる6年間の長期ドイツ留学を果たしたエリートで、陸軍病院や東大医学部第一医院長などに出仕し、順天堂医院の経営に当たっていた。44歳の働き盛りで、外科医学界の第一人者だった。
この日、大日本医学会創設のため相談会を医学者たちと開いていた会食中だった。その席から人力車で外務省に駆けつけていた。高木、橋本、池田の三人が手術の助手を務める豪華布陣となった。」(28頁)
池田とは池田謙斎で宮内省一等侍医、高木とは高木兼寛で海軍軍医総監(妻は佐倉藩に仕官した手塚律蔵の娘)、橋本とは橋本綱常で陸軍軍医総監(順天堂門人)です。
【10月】
白石良夫『幕末インテリジェンス 江戸留守居役日記を読む』(2007年10月 438円 新潮社)
幕末、佐倉藩士であった依田学海は江戸留守居役に抜擢されます。
江戸留守居役とは、幕府や他藩の情報を調査することを職務とし、藩の方向を左右するような重職でありました。
佐倉藩は徳川譜代藩としての位置付けでしたが、そのことが維新時、幕府方につくか、官軍方につくかの決断で苦悩するところとなります。佐倉藩の苦悩は、依田学海の
苦悩でもありました。
本書は、新書版『最後の江戸留守居役』を改題したものですが、文庫版となって読みやすくなっています。幕末から明治にかけて、佐倉藩のことを知ろうと思ったら、
ぜひ本書をお薦めします。
笙野頼子『だいにっほん、ろんちくおげれつ記』(2007年10月 1600円 講談社)
「汗の霧の中に身を投げるようにして、埴輪いぶきは、まるで都心のような混雑のS倉市嘘井駅前を歩いていた。今までのそこは郊外によくある水底のような駅であった。
広場には大きな楠の木が一本。午前一時を過ぎれば人口十万人のS倉市の、特急通過駅は真っ暗になる。毎夜、この街に鉄道が引かれてからも、その
楠の木には街中の鳥が集まり、眠ったものだ。
毎夏、マカタの社で過ごすフクロウは夜毎そこに降り立ち、一晩に一羽の小鳥を狩った。」(3頁)
その他の頁にも出てきます。(2007年12月2日 掲載)
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