はじめに
2006年の大きなできごとは、12月に亜細亜大学「授業資料サイト」の図書館特論で、満開佐倉文庫が紹介されていたことである。
これを知ったのは翌年の4月になるので、話題としては翌年に盛り上がるのであるが、記録としては2006年になる。
電子図書館といわれるサイトは数あるが、わが満開佐倉文庫が亜細亜大学で紹介できる電子図書館サイトの一つとして選ばれたということは、
大学で図書館司書資格を教える先生にそれなりの評価をいただいたといえるだろう。しかも、青空文庫、Google、
ウエブログ図書館などに並んで紹介されているのである。このような著名なサイトにとても及ぶものではないが、少しは文庫の活動が認められたものと考えている。
これまで文庫を支えてくれた司書、友人、そしてサイトを訪れてくれる人にお礼を申し上げたい。
満開佐倉文庫館主 亀田雄岳
今年の満開佐倉文庫
1月
佐倉情報ライブラリーのコーナーに、「歴史・自然に関する論文、資料紹介」と「佐倉に関する雑誌・冊子記事」の項目を追加する。
2月
トップページをリニューアル。
近ごろ佐倉本の情報が膨大になってきた。
佐倉本探しは、「集める」から「整理する・分類する」という段階に入ったと考える。
3月
ホームページの行間を開け、読みやすくする。
4月
年報作成
6月
10日、満開佐倉文庫開設6周年記念のオフ会を中央公民館で行なう。参加者は5人。
当ホームページが成田市立図書館のホームページにリンクされていた。
佐倉市立図書館のホームページに、満開佐倉文庫提供として「佐倉本2006」の情報を提供する。
〔館主語録〕 満開佐倉文庫は今を集め 今を整理し 今を伝える
「佐倉情報ライブラリー」の中に「鉄ちゃんクラブ」という項目をつくる。
7月
〔館主語録〕今日のできごとも、明日には歴史になる。今日出版された本を集め続ければ、それも一つのデータになると思う。
広く捉えれば、今の佐倉を集めるということ。そこから、私たちの生きた時代は、佐倉がどのように描かれ、どのような人が活躍し、何に感動していたのか、などということが見えてくるのではないかと思う。
8月
「佐倉本探索日記」に郷土資料・著者検索を新設。
9月
情報紙『まちづくりマガジン すたっと』(2006年10・11月号 高千穂ネットワーク)
特集「本と映画に見る佐倉」に、満開佐倉文庫の話が掲載される。
10月
「佐倉情報ライブラリー」から「情報プラットホーム」を分離。「情報プラットホーム」には、一つのテーマに皆さんから寄せられた情報を重ねていくことにする。
満開佐倉文庫はどれくらい続けるのだろうかと自問する。遊びとはいえ司書さんを認定したのだから、文庫の考え方を持っていなければならない。
今は、とりあえずの目標として2010年までやってみようと思っている。あと4年、ホームページを開設して10年目の節目を迎える。そこまでできれば一区切りできたかな、と思う。
10月19日、訪問者(アクセス)数、60000を超える。
11月
「佐倉という字」という項目をつくる。
12月
亜細亜大学の授業資料サイトにある「図書館特論」で、電子図書館をテーマとした学習が行われており、電子図書館の一つとして満開佐倉文庫が紹介された。
第3回(平成18年)満開佐倉文庫情報大賞
平成18年11月30日、今年(平成17年12月1日〜平成18年11月30日まで)、みなさんから寄せられた情報の中からすぐれた情報を館主と司書さんで10点選び、これを第3回情報大賞候補としてノミネートする。
ノミネートされた10作品を、12月10日の選考会で出席した司書さん(10名)に得票していただき、大賞に「堀田正睦の暗殺計画」が選ばれる。また館主の判断で特別賞として「情報力賞」を選ぶ。
大賞
「堀田正睦の暗殺計画」
ホームページ掲載日 平成18年6月1日
情報提供者 銀狐さん
[メール]
堀田正睦暗殺情報について。まず、一番分かりやすく話が構築されて、世間的に多くの目に触れる可能性のある情報発信源ですが、司馬遼太郎が江藤新平を描いた『歳月』という小説に次のような件がありました。
「藩士深川亮蔵という者がかって幕府の老中堀田備中守を暗殺しようとして事成らず捕縛された」と。つまり肥前佐賀の上士の深川亮蔵が暗殺を計画し藩に捕まったというのです。
著名な作家の作品ですから、このあたりが噂の原点かもしれませんね。
この点は、単に司馬遼太郎の作文かとも思ったのですが、西日本新聞社が刊行した『大隈重信』(大園隆二郎著)の中で、大隈が後年語った「深川が安政5年、堀田備中守が上京して条約の批准を奏詣し、かつ、勢い猛烈であった京都の攘夷論者を圧迫しようとした時、堀田を刺そうとして岩倉などに会見した」と述べたとされていることを発見しました。
深川亮蔵は実在の人物でどうも八街の開拓にまで関係のある面白い人物のようです。水戸藩の隠密の件もあり、幕末の佐倉周辺はヤッパリ大変面白いと再認識いたしました。
[講評]
佐倉では語られない話です。それだけ、他藩にとっては重要な人物と見られていた証ですね。
佐倉や佐倉ゆかりの人物について、私たちの知らない他地域で誰かが語っていることがあります。佐倉本探しというのは、地元のつながりや故人のつながりからでは発見できないような本を、「佐倉」という言葉をキーワードにして全国の資料を手に入れようとするところに一つの「ねらい」があります。
他地域の人が書いた佐倉の評価は客観的であったり、批判的であったりしますが、そのような資料もあってこそ佐倉の実像が見えてくるのではないかと考えています。本候補は、佐倉本探しの成果を具体的に示す好例です。
2位「シューベルツというフォークグループが佐倉駅で写真撮影」
ホームページ掲載日 平成18年5月18日
情報提供者 TONGさん
[メール]
はしだのりひことシューベルツというフォークグループが、かなり前にレコードを出しましたが、ジャケットの写真は旧国鉄佐倉駅の機関区で撮られたものです。
[講評]
これからしばらく話が盛り上がりましたね。これも「情報の魅力」があったればこそであり、そこが推薦理由です。「情報の魅力」というのは、これまでの判断基準になかったのですが、情報力とでもいうのでしょうか、情報の波及効果も考慮したいですね。
3位「山車を牛が引く」
ホームページ掲載日 平成18年9月21日
情報提供者 七つの子さん
[メール]
さきごろ開催された国立歴史民俗博物館の企画展「佐倉連隊にみる戦争の時代」で、山車の写真をご覧になったでしょうか?
『日清戦争の招魂祭』と題された一枚です。図録では43ページに掲載されています。この写真に、麻賀多神社祭礼の7本の山車が写っています。私が知る限り、最も古い山車の写真だと思うのですが、如何でしょうか。
祭り好きな私の仲間うちでは、この写真をめぐって「ちょっとした大騒ぎ」になっています(笑)上町の「日本武尊」の山車が後ろに傾いているのは、この山車が二輪で、牛に曳かせていたものだという何よりの証拠だそうです。
[講評]
私も図録を買いましたが、まさか日清戦争で「祭り」の山車とは気づきませんでした。私の知る限りでは、現在、山車が写ったものとしては、一番古い写真だと思います。
山車が傾いているから牛に曳かせていた証拠とは、おそれいりました。こだわって見ていると、見えてくるものですね。
佐倉に伝わる山車が牛に引かれていた、あるいはそのような構造になっているとは知りませんでした。
4位「小林旭と宍戸錠が佐倉で映画ロケ」
ホームページ掲載日 平成18年6月5日
情報提供者 fukikohassyさん
[メール]
古い新聞に小林旭と宍戸錠が佐倉市六崎地区(国鉄駅引き込み線)で格闘シーンがあったという記事を見つけました。
昭和43年9月8日付、千葉日報に出ています。「先月2日、小林旭は既報のとおり小編成のロケ班とともに千葉市へ早朝到着。千葉刑務所を舞台に出所するシーンを撮影。
続いて午前11時から佐倉市六崎地区(国鉄駅引き込み線)で宍戸錠とのからみで格闘シーンを撮影、紅一点のニューフェース久本由紀も加わって、炎天下、勇ましいロケを行なった」
映画の題名は「縄張(シマ)はもらった」で、10月に千葉日活で封切られたそうです。
[講評] 古い新聞を捜すという探索力に脱帽です。
5位「印旛沼の河童」
ホームページ掲載日 平成18年2月10日
情報提供者 ギムリさん
[メール]
印旛沼にまつわる民話を調べていたら、小川芋銭の「河童百図」の中に「印旛沼の一本足」という河童の絵があることを知り、河童についての話がないかと『県別河童事典』(河童文庫)を県立図書館から取り寄せてみました。
河童の伝説はなかったのですが、村上元三著『河童将軍』(昭和25年)が紹介されていました。臼井城の原氏に仕えていた侍が、印旛沼の河童族の頭となって、利根川から侵略してきた水虎族と戦う話です。古い作品なのでご存知かとも思いましたが、お知らせします。
[講評] 印旛沼の河童。「そうか、河童か」。印旛沼で何か忘れていたものを思い出させてくれました。もう素直に「いいなぁ!」でした。
特別賞「情報力賞」
「シューベルツというフォークグループが佐倉駅で写真撮影」
[講評]
この情報は5月にいただきながら、12月になっても関連の情報が寄せられています。「佐倉の再発見」という観点では大賞にはなりませんでしたが、半年以上も関連した情報が寄せられるということは、この情報に人を引きつける魅力と深さがあるのだと思います。そのようなことで「情報力賞」を送ります。
司書の窓
採否に嬉々 節の介
H19年2月にY3として初めて情報を提供して採用されて以来、数
回の情報提供を経て、司書へのお誘いを受け、仲間に入れて戴くようお
願いしました。まだ3カ月程しか活動していませんが、司書活動の感想
を述べさせて頂きます。
以前から、なにげなく閲覧していた本文庫でしたが、今年から少し佐
倉学に興味を持とうと意識し始めたので、過去の掲載記事を読み進める
と、自分でも何か情報提供が出来るようだし、敷居も高くなく、館主さ
んとの交信が出来るようになればいいなあという思いが高まり、初めて
情報提供をし、採用された時は嬉しかったです。
以来、調子に乗って提供を重ねました。不採用になった情報も何件か
ありますが、その際の館主さんの判断とその明解な解説連絡を戴くこと
の方が採用と同じくらい嬉しいですね。そこで、本稿の題名を「一喜一
憂」としないで「嬉々」とした次第です。
今後も、情報提供を続け、嬉々を重ねたいと思っています。
新たな読書の仕方 えりっぷ
私の本好きはかなりな年季物だと思っている。学生時代のミステリー物から理数系の本、ドラマから興味をもっての歴史物。学校が神保町にあったため、
時間があると古書店を覗いていた。硬い本ばかりでなく、まんが本も数多く読み、所有している。
本に囲まれているのが幸せな自分である。 しかし、近年はベストセラーといわれる本を読まされてきたような気がしていた。
昨年このホームページにであい、新たな読書の仕方を教えていただいた。自分の住む佐倉で、興味をもったこと疑問をいだいたことを、自分なりに資料を模索しながら、探しています。
郷土の新刊案内(平成18年)
<平成18年に発行された佐倉にゆかりのある本を月別に掲載してあります>
【図書の紹介にあたって】
図書を紹介するにあたっては、著者、題名、発行年、出版社を記入するほか、佐倉が出てくる部分を一部引用しています。これは、題名だけでは図書の内容がわからないため、利用者が図書を選ぶにあたっての目安としていただきたいと考えたからです。
引用にあたっては、掲載した文章の誤字、脱字もあろうかと思うので、利用者は原著を読み、原著から引用をしていただきたいと考えています。
また、引用部分は文庫で判断したため、著者の納得いただける引用部分ではないかも知れませんが、なにとぞ趣旨をご理解いただき、ご容赦くださるようお願いいたします。
【1月】
川名登編著『千葉県の歴史 100話』(2006年1月 国書刊行会)
佐倉市の項目としては「怨霊伝説を残した将門」「千葉一族最後の光彩」「印旛沼開発」など多数。
坂崎重盛『「秘めごと」礼賛』(2006年1月 800円 文春新書)
ま、題からして想像のできる内容であり、その通りの話が綴られているが格調が高い。谷崎潤一郎、永井荷風、斉藤茂吉などの人物が取り上げられ、生活の二重性や女性に関した秘め事が記される。取り上げられた人物の一人に、旧佐倉藩士依田学海がいた。
学海は神田小川町に住み、妾宅を向島に持っていた。学海は明治になって本宅と妾宅を行ったりきたりしながら暮らしていたのである。そして、本宅、妾宅で日記をつけ、本宅の日記は岩波書店から『学海日録』として、また妾宅の日記は『墨水別墅雑録』として吉川弘文館から出版されている。
私は佐倉藩のことや依田学海のことを書く時には、この日記を引用しているが、愛妾のことは記していない。坂崎氏は、秘めごとの話だけではなく、学海の日記を評価しており、また幸田露伴のデビューエピソードを紹介している。良書であり、一読を薦めます。
【2月】
清水良典編『現代女性作家読本C 笙野頼子』(2006年2月 鼎書房)
佐倉市在住の芥川賞作家笙野頼子氏の作品を紹介した本。この中で紹介された『愛別外猫雑記』『S倉迷妄通信』の2冊は、佐倉と読み取れる土地(S倉市、S倉と表現)が出てくる本で、解説にその辺のところが記されています。
小笠原喜康:チルドレンズ・ミュージアム研究会編著『博物館の学びをつくりだす』(2006年2月 1905円 ぎょうせい)
第5章に佐倉市立美術館の「体感する美術」事業が取り上げられ、中村桃子・永山智子さんが執筆しています。
千野原靖方『関東戦国史』(2006年2月 崙書房)「北条氏の下総佐倉領支配」(213〜221頁)
ほかにも本佐倉や臼井のことが少し載っています。
【3月】
『佐倉の湧き水物語 〜佐倉の湧き水30〜』(2006年3月 300円 佐倉市)
市内にある湧き水がカラーで紹介されています。
押尾忠『ふるさと探訪―下総台地の民俗―』(2006年3月 印刷 正文社)
「第1章4 千葉氏の興亡と臼井城の攻防」「第1章5 佐倉藩の文化と四街道」、そのほか、佐倉市の民俗も各所に記されています。お薦めします。
学海余滴研究会編『学海余滴』(2006年3月 5,800円 笠間書院)
佐倉藩士であった依田学海の明治時代の日記。交流のあった明治の文人や旧佐倉藩士のことが記されていて貴重な書物です。佐倉のことを調べるなら必見の書。すでに出版されている学海の日記『学海日録』『墨水別墅雑録』と合わせて読むと深まります。
【4月】
八幡和朗『日本の百名城』(2006年4月 KKベストセラーズ)
佐倉城を日本百名城の一つに選んでいます。(108頁)
【5月】
『千葉県の歴史散歩』(2006年5月 山川出版)
佐倉も出ています。
【6月】
山倉洋和『もうひとつの「歴史散策」「佐倉連隊とその時代」を歩く』(2006年6月 500円)
佐倉には、終戦まで連隊が駐屯したので、連隊に関した史跡があります。また戦争に参加した人の忠魂碑などがあります。市内に残るこれらの史跡を足で歩いて記した本です。
平塚純一・山室真澄・石飛裕『里湖(さとうみ)モク採り物語 −50年前の水面下の世界』(2006年6月 1795円 生物研究社)
印旛沼の記載がありました(75〜78頁)
【8月】
笙野頼子『だいにっほん、おんたこめいわく史』(2006年8月 1600円 講談社)
「かつては単なる千葉県S倉支部に過ぎなかったからだ。しかし今では最後まで戦ったゆえに、本部である。S倉がである。
そのS倉とは、縄文より人の暮らす、歴史の濃い土地である。反抗に彩られた受難の土地だった。戦うのに慣れている土地であった。『あーまたかー』という感じで気が付くと戦っているお国柄だった。まあ決して佐倉でない事を明言しておくがね。
ヤマト官憲の『東征』に始まり、S倉惣五郎、N田闘争の気質を今に伝える聖地である。また江戸時代の後期には『西の長崎、東のS倉』と言われた蘭学に熱心な頭のいい土地で、理論、知育、先取の精神、ブランドも高かった。その上たまたま作者が住んでいるせいもあってこのように良く書かれてしまうのであった」(10頁)
「ちなみに、この『うちどもら』という言葉は『自分たち、私ども』というような意味のS倉弁である。S倉が本部になってから十年近く、また巫女もあまり長々とS倉に住み着いているがために神の託宣にもこの、S倉弁が、混じるようになっている。」(31頁)
このほかにも、何箇所かS倉が出てきますので、お読みください。
佐藤雅美『町医北村宗哲』(2006年8月 角川書店)
「堀田様のご家来衆の貧乏ぶりは・・・」(195〜198頁)など「佐倉藩」について表現しています。
【9月】
大浦明編集『千葉のうまい蕎麦 73選』(2006年9月 1300円 幹書房)
佐倉市では佐倉新町にある川瀬屋が紹介されていました。
【10月】
白鳥孝治『生きている印旛沼 ー民俗と自然ー』(2006年10月 2000円 崙書房出版)
第1章 印旛沼とその流域の概要 第2章 印旛沼周辺の人の営み 第3章 印旛沼とその周辺の自然特性 第4章 印旛沼とその周辺の自然改造 第5章 印旛沼流域の現状
本書は研究書ですが読みやすく、また印旛沼を幅広い領域からとらえていますので入門書としても適しています。
笙野頼子『一、二、三、死、今日を生きよう! 成田参拝』(2006年10月 1900円 集英社)
「成田、それは千葉、内陸、北総、ウチのすぐ近く。でも成田と佐倉とは違う土地なのだ。私は越してからあまりに苛烈過ぎる佐倉の気温の中で、成田の農民の感じを想像するというアホな事をしていたのだけれど。」(16頁)
「越した当初、佐倉は雲が早いので雪が少ないと友人が教えてくれた。私の住むところは夏最高気温三十五度、冬最低気温マイナス六度、特に家の近くは沼の冷気で冷えるため冬が辛い。が、今はたとえ寒いさ中でも、また真っ暗になった沼と山の間の道路を歩いていても、妙に、山に癒される。」(17頁)
「佐倉市は住其ネットを拒否しなかったらしく私の分の番号も来ていた。都内のどっかの区は断っていたが。
車は家の前の高台の、タイコ橋のように急な坂をくわっと下りて、私のいる町から沼のよく見える東の方向に走り出した。そのあたりは百メートル進むと最低気温が、一度下がる。江原台のいつもの猫の飯を買いに行くホームセンター、シャトレーゼの工場、を通り過ぎる。水道道路から成田街道に入り、周辺に川魚料理屋の多い橋を渡り、佐倉宗五郎を弾圧した佐倉のお城の、跡に建つ民俗歴史博物館を斜めに見て、山中の石段、頂上の鳥居をぼーっと認める。」(42頁)
「その後車でマカタに行こうとしたら難渋した。というのもマカタは千葉に十八社あるから。そして周囲の緑の多いあたりの景色はというと実に似ている。同名の神社は佐倉駅から徒歩十五分のところにもあるし。」(72頁)
「十月の下旬、佐倉の新興分譲受託の中で少し早い万聖節の前夜祭、ハロウィーンのパレードが行われていた。西洋から輸入した精霊の土俗由来の祭りが、佐倉という日本の、土俗の地で行われているのだった。」(100頁)
「東京から来る人に佐倉の夜の暗さを、というか自然の良さを見せようと思っていた。寂しいところに住んだと思われているけれど、また最初は寂しかったけれど、私はもう佐倉が好きになっていた。初夏に電車で来る人は佐倉の手前で、車窓の緑に、歓声を上げる。家の近くまで来ると、なんだ住宅地じゃないですかというのだけれど、林や沼や山の気配は夜に濃くなる。それを知らせたい。」(101頁)
「能は佐倉に来てからその薪能で見て好きになった。最初は取材であったが、その場で楽しめた。」(102頁)
「以前に人に聞いて沼の方の小学校あたりは自然が残っているというので、兎や狸のいそうなところに行きたいというと、よく車に轢かれるというのでやや反省をする。沼に浮かぶ灯を見て、夜の道を走る。東京から帰ってきて八千代、四街道あたりで通る林の中とさして変わらない。沼の水と鉄塔の赤い灯を私は見慣れているし、湾岸道路を彼女は知っているはずだ。通りついでにナガシマの家をドライバーが教えてくれる。石の天狗像がある八幡神社の近くまで行く事にした。神社のところで下りて、下方の繁華街を見た。
帰ろうとすると、雷電為右衛門のお墓を見ませんか、と少し拍子抜け気味に私たちにドライバーが薦めた。」(108頁)
「車で佐倉から世田谷美術館に行くところだった。」(133頁)
佐倉市民本
佐倉市生まれ、あるいは佐倉市在住の方が出版された本を著者のアイウエオ順に掲載してあります。
【す】
鈴木久美子 句集『雪月夜』(2006年4月 梅里書房)
市内在住
【は】
長谷川和廣『仕事前の1分間であなたは変わる』(2006年2月 かんき出版)
長谷川氏は佐倉市生まれです。
【や】
山本厚生『ひと裁ち折りの魅力 もうひとつの紙あそび』(2006年2月 萌文社)
藤原道子さんが「不思議な折り紙」という文章を寄稿しています。藤原さんは市内在住。
年間訪問者(アクセス)数
1月 1240人 1日平均 40 人
2月 1224人 1日平均 43.7人
3月 1510人 1日平均 48.7人
4月 1269人 1日平均 42.3人
5月 1114人 1日平均 35.9人
6月 1384人 1日平均 46.1人
7月 1165人 1日平均 37.5人
8月 1248人 1日平均 40.3人
9月 1370人 1日平均 45.7人
10月 1337人 1日平均 43.1人
11月 1206人 1日平均 41.6人
12月 1340人 1日平均 43.2人
合計 15407人 1日平均 42.2人
編集後記
日誌を書く趣味はなかったが、パソコンに向かうとすらすら書けてしまう。その気軽さゆえ、インターネットにアップしたあと、「根拠が曖昧だな、
言葉の使い方が違っていた、別な意味にも受けとられるな。」などと思うことがある。そして、いったん消したパソコンを立ち上げることがある。
インターネットは、あっという間に不特定多数の人が目にすることができてしまうので、便利なようで怖い。十分に注意をしていきたい。
年報の発行が三冊目となった。三号で廃刊となってしまう「三号雑誌」といわれないようにしたい。やはり、これからも「文庫の身の丈」にあった運営をしていくことが、長続きする秘訣と考える。
満 開 佐 倉 文 庫 年 報
−平成18年(2006年)版−
編集 亀田雄岳
住所 ホームページ「佐倉と印旛沼」
http://www3.ocn.ne.jp/~inba/
発行 満開佐倉文庫
発行日 平成19年(2007)6月2日
印刷 各自のプリンター印刷と製本
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