第6回(平成21年)情報大賞
満州国旅順市に佐倉町があった
ホームページ掲載日 2009年6月24日
情報提供者 節の介さん
大賞理由
一時期とはいえ、外国にも佐倉という地名があったことに驚きました。その理由は、これから探していくことになります。
そのようなことで、単なる事実の発見ではなく、発展しそうな話題であったことが支持を受けました。
オフ会は 12月12日に開催しました。 当日の参加者は2人。書面による参加が2人ありました。
内容
「満州国 旅順市 佐倉町」情報源は、満州日日新聞 1935.10.10(昭和10)です。
「旅順の上水道鉄管大掃除 十四日から開始」
旅順民政署水道係では左記日割に依り市内鉄管掃除を行うこととなった、当該時間は給水溷濁し又は断水する場合が
あるので各家庭ではそれぞれ注意されたいと。
▽十五日赤羽町、佐倉町、吉野町、日進町、高崎町、千歳町、江戸町、
松村町二一、二番地、四番地を経て七番地に至る附近) (以下省略)
第6回(平成21年)情報大賞候補
情報大賞候補は、惜しくも大賞を逃した情報です。
【候補1 】「遠州佐倉」という駅がありました。
ホームページ掲載日 2009年1月11日
情報提供者 ホームタウン佐倉さん
[メール]
御前崎市(旧浜岡町)佐倉の紹介が1年前に行われていましたが、その後何の情報もないようですので、話題をひとつ提供しましょう。
実は、そこには「遠州佐倉」という駅がありました。もちろん国鉄ではありません。静岡鉄道駿遠線という軽便鉄道が走っていた時代のことです。
開業は昭和23年9月6日で藤枝から地頭方まで開業していた藤相線と袋井から新三俣まで開業していた中遠線の両終点が15キロほどしか離れておらず、しかも戦時中にこの区間に軍用鉄道があったのを利用して戦後両線を結ぶ工事を行い、開通したときに駅が設けられたのです。
所在地は「静岡県小笠郡佐倉村雨垂」と昭和27年国鉄発行の「停車場一覧」には記載されています。藤枝からの距離は34.0キロでした。
[推薦理由]
遠州にあった佐倉の関連情報です。
【候補2 】『ピクシー・ワークス』の著者南井大介氏は佐倉出身
ホームページ掲載日 2009年9月27日
情報提供者 Tongoさん
[メール]
こんにちは、Tongoです。佐倉市民本の報告をします。
南井大介『ピクシー・ワークス』(2009年9月 590円 電撃文庫)
9月10日に発売された文庫「ピクシーワークス」(アスキーメディアワークス刊)の作者南井大介(みないだいすけ)氏は佐倉出身であるという話を職場同僚から聞きました。
南井氏は、幼少時から青春時代を佐倉で過ごしたとのこと。本書『ピクシーワークス』は、版元が電撃文庫と銘打ったシリーズの一冊で未来のお話です。
笹島明桜高校天文部に属する女子高生3人組に生徒会役員を加えた4人の女の子が経験する過激な夏休み、なんて書くとドキドキしますが、実は戦争で壊れた秘密の戦闘機を
修復した女子高生がパイロットになる、というメカニカルな方面で過激さは発揮されておりますのであしからず(笑)
[推薦理由]
佐倉出身の作家が世に出ることはうれしいことです。
【候補3 】角田喜久氏の先祖は佐倉藩士
ホームページ掲載日 2009年10月27日
情報提供者 Uさん
お久し振りです。Uです。先週、加藤和彦さんの訃報に接し混乱しています。その話題はおいておくとして。
探偵小説家伝奇時代小説家といて有名な角田喜久雄(つのだ・きくお)さんの本を先日読み返していたら発見したことがありました。
講談社の大衆文学館文庫、角田喜久雄著『怪異雛人形』の解説を読んでいたら、角田さんは
『代々、佐倉藩士(25石、二人扶持の御徒衆で江戸詰が多かったという)の家系であった父は欧文植字の技術者で、両親とともに喜久雄の日常には良い意味で・・・(後略)』とあるように、角田家は代々佐倉藩士だったという事です。
ただ、なにかであまり角田家は佐倉には住んでいなかった(またはぜんぜん佐倉には住んだことがなかった)と読んだ事があります。その理由は前述のごとく、
その役目が江戸詰めだったからです。
[推薦理由]
知りませんでした
【候補4】天野喜久代という佐倉出身のオペラ歌手
ホームページ掲載日 2009年10月2日
情報提供者 亀田雄岳
大正時代に、天野喜久代という佐倉出身のオペラ歌手がいた。オペラといっても、ヨーロッパで行われている本格的なオペラではなく、「浅草オペラ」といわれる和製オペラである。
喜久代は、「二村定一のサイト べーちゃんの唄」というウェブサイトによると、本名は新井ふく、佐倉市出身、日本橋高等女学校卒業後、大正2年に帝劇歌劇部2期生として入部とある。
増井敬二『浅草オペラ物語』(平成2年 芸術現代社)には、浅草オペラの女優番付があるが、喜久代は大関である。
浅草オペラが衰退したのは、大正8年に来日したロシア歌劇団による本物のオペラを見せられたことであった。
喜久代については、瀬川昌久『舶来音楽芸能史 ジャズで踊って』(1983年8月 サイマル出版会)も参考となる。
[推薦理由]
佐倉の人の発見です。
【候補5】三遊亭金馬(三代目)が佐倉で事故
ホームページ掲載日 2009年5月7日
情報提供者 Sさん
〈ホームタウン佐倉さんへ〉
教えてください。
落語家で三遊亭金馬(三代目)が、昭和29年2月5日、佐倉の鹿島川にタナゴ釣りに出かけた帰り、
鹿島川の鉄橋上で汽車にはねられ、左足に重傷を負ったそうです。
彼のプロフィールにあるそうですが、どの本に書かれているかご存知ですか。
知人からいただいた情報ですが、聞いた話なので確定できません。
[推薦理由]
金馬は佐倉で事故にあっていたんですね。
【候補6】 立花屋薫、本名は渡邊輝之助
ホームページ掲載日 2009年1月27日
情報作成者 亀田雄岳さん
『日本近代文学大系 第60巻 近代文学回想集』(1973年2月 角川書店)に収められている江見水陰の「自己中心明治文壇史(抄)」に、
「硯友社中には『我楽多文庫』時代に立花屋薫(故法学士、弁護士、渡邊輝之助―佐倉の人)といふ脚本家がゐて二三の戯曲を発表して居り、又『文庫』に成ってからも、漁山人(医学士多田寛)が有って『積雪節松枝』を発表してゐる。この二先輩が在るにも関わらず、尾崎が自分を硯友座の立作者に抜擢したに就ては感激せずにはゐられなかった。」(243P)とあります。
また新しい佐倉の人、発見です。立花屋薫、本名は渡邊輝之助というのでしょう。情報をお待ちしています。
。
[推薦理由]
佐倉の人の発見です。
【候補7】藤本真と藤本藤蔭は同一人物
ホームページ掲載日 2009年2月21日
情報作成者 Mさん
『学海日録』調べでわかった新情報を書いておきます。
パソコンの不調になる前に去年分の佐倉メールを読み返していたら、藤本真を去年八月に話題にしていました。
先日のメールで再度藤本藤蔭のことを話題にしましたばかりでしたので、或いは同じ人物なのではないかと思い付きましたので、『学海日録』で調べました。
明治三十年六月十日に「真、この頃、博文館の日本名勝誌というものを著はしぬ」とあります。調べたら、これは藤本藤蔭著『日本名勝地誌』のことでした。
亦明治二十一年三月七日の条に「中根淑の周旋によりて、金港堂の編輯局に入りて校合の役」になるとあります。
国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに、明治二十一年十一月刊行の、藤本真著『小学簡易科読本字弁』(金港堂)がありました。
乃ち、『学海日録』の索引では、藤本真と藤本藤蔭は別項目になっていますが同一人物だと看做しても宜しいかと思います。
藤本真の『学海日録』初登場は明治四年でした。日録には同郷の佐倉の人とは書いていないが、就職の面倒を見ているところから判断しても、藤本藤蔭こと藤本真は佐倉の人だと思われます。立花屋薫の佐倉人説同様確証が欲しい所です。
[推薦理由]
佐倉の人の発見です。
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