佐波一郎 佐倉藩士藤井喜一郎の次男として、安政元年(1854)11月に江戸小川町に生まれる。叔父、佐波銀次郎の養子となる。 長姉の淑は依田学海に嫁いでいる。一郎の兄は藤井善言。明治になってフランスに留学し、造船技術を学ぶ。後、軍艦の設計に従事する。 【2008年4月8日 新設】 4月8日 先日、問い合わせのあった佐波一郎について記す。 佐波一郎は佐倉藩士藤井喜一郎の次男として、安政元年(1854)11月に江戸小川町に生まれる。叔父、佐波銀次郎の養子となる。 長姉の淑は依田学海に嫁いだ。明治になってフランスに留学し、造船技術を学ぶ。帰国後、軍艦の設計に従事する。 一郎の長男は亘。次男は次郎といい、海軍航空本部に勤務し、山本五十六の下で戦闘機の開発に携わり、ゼロ戦の発注を進言した人。亘の長男は『三本の苗木』の執筆者の一人、佐波正一氏で東芝の社長であった。 なお、佐波次郎がゼロ戦を発注する経緯については、柳田邦男『零式戦闘機』に記されている。 2008年4月5日 マールブルグ大学の先生から返信メールあり。 メール拝読致しました。ご多忙の折、ご返事誠にありがとうございました。 また、見ず知らずの私に貴重な情報をご教示していただき感謝の気持ちでいっぱいです。 先生のご厚情を無駄にしないようこれからも研究に精を出したいと思います。どうもありがとうございました。 *日本とドイツで、こんなにも簡単にやりとりできるなんて、インターネットって、すばらしいですね。 4月4日 ドイツのマールブルグ大学の先生から、佐波一郎についての問い合わせのメールあり。 マールブルグって、都市の名前かな。 <返信> 佐倉藩士佐波銀次郎の孫にあたる佐波一郎については、佐波正一・佐波薫・中村妙子著『三本の苗木』(2001年 みすず書房)に詳しいです。 三人は佐波一郎の孫にあたります。 佐波銀次郎(佐波一郎の父)の親戚にあたる依田学海は、安政3年から明治34年に及ぶ日記を残しており、 岩波書店から『学海日録』11巻が発刊されています。 この索引には、佐波一郎、佐波あきら、佐波一郎妻・母、佐波亘、佐波通任(銀次郎)・妻・母などの名前が見られます。 日記ですから日常的なできごとを書き留めたものでしょうが、参考になるかも知れません。 鈴木忠著『佐波銀次郎の生涯』(平成3年)も、一郎のことを書いています。 これは、千葉県立図書館にあります。 柳田邦男『零式戦闘機』にも、少し出ています。 以上、思いつくままに記しました。ご活躍のほどを。 トップページ |