角田喜久雄 小説家 【2010年1月28日 新設】 1月17日 節の介さんから角田喜久雄に関する情報あり。 角田喜久雄に関する情報です 『大衆文学大系27 角田喜久雄 山手樹一郎 村雨退二郎 集』 (講談社 昭和48年7月) 巻末の角田喜久雄年譜(住所に関する情報を抜粋) 明治三十九年(一九〇六) 五月二十五日、神奈川県横須賀中里に生まれる。父雄三郎は海軍工廠印刷部 創設要員として勤務中であった。母はテフ。先代は千葉県佐倉の堀田藩士である。 明治四十年(一九〇七) 一歳 六月、父が台東区浅草日本堤に活版印刷業を開業したので、同地に移る。四十四年に 浅草山之宿に移った。 大正十五年(一九二六) 二十歳 春、浅草山谷一丁目に移る。 昭和十八年(一九四三) 三十七歳 二月、中野区若宮の現在地に移転。 1月14日 節の介さんから角田喜久雄に関する情報あり。 『ビジュアルブック江戸東京4 昭和30年東京ベルエポック』編者:川本三郎(1992年12月 岩波書店) P92の、 「東京下町 −−−ふるさとの原風景 田沼武能」の文章中 わが家は写真館を営み、住所は、山谷一丁目一番地の一である。 都電通りと地方橋通りの交差点に交番、隣が中華ソバ屋。廃業した元米屋、 食品店、自転車屋、海苔問屋、牛乳店、接骨院。そんな順に並んでいて、 地方橋通りに面して私の家、東電営業所、植木屋、印刷屋があった。 「印刷屋のお兄さん」と呼んでいた人が、実は角田喜久雄という小説家で、 下町には異色の存在だった。 とありました。角田喜久雄は、著書『怪異雛人形』に、先祖は佐倉藩士であったと記されています。 トップページ |