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藤本藤蔭・藤本真 情報がありましたら、お知らせください。 【2009年3月5日 新設】 2010年3月4日 節の介さんから佐倉本情報あり 藤本藤陰の情報です。 (1) 『西鶴名著集 上巻』明治36年7月発行 博文館において、 内表紙は藤本藤陰 校訂と表記されていて、 奥付には著者 藤本眞と表記されています。 (2) 『部落問題文芸・作品選集 第30巻』昭和51年4月発行 世界文庫 のP106−122に 「鋸びき」藤陰隠士が収録されています。 (3) 『部落問題文芸・作品選集 第50巻』昭和55年2月発行 世界文庫 のP5−153に 「落葉」藤陰隠士が収録されています。 (4) 『日本名勝地誌 第8編 南海道之部』1898年発行 博文館 野崎左文/藤本藤陰 著 あとがきに、第8編から担当することになったと藤陰が述べています。 〈返信〉 ありがとうございました。 3月12日 節の介さんからメールあり 藤本藤陰/藤本眞の情報です。 (1) 『小学簡易科読本字弁』藤本眞 金港堂 明21.11 (近代デジタルライブラリーで閲覧) (2) 『落葉』藤蔭隠士 金港堂 明24.12 (近代デジタルライブラリーで閲覧) (3) 『一葉全集 第四巻』筑摩書房 昭和二十九年三月初版 昭和三十五年七月 五版 P113 塵中日記 「二十三日(注:明治27年)根岸に藤陰君をたづぬ。・・・」 (4) 『続日本随筆大成4』吉川弘文館 昭和五十四年十二月 「酔迷餘録」中根香亭 P146 「・・・先つ頃藤本藤陰、話次下総の国某の村某の家にて、 数年前家を作りしとき、誤りて守宮を釘付けにしたるが、・・・」 (もう一息で、「佐倉」が読めそうですが、表記されていません) (5) 『都の花』の復刻版が出ています。(都立中央図書館蔵) 第39号から印刷人が藤本眞になっていました。 バックナンバーには、学海、藤陰、香亭の作品が多くあるようです。 中根淑(香亭)や樋口一葉を追いかけると藤陰の 情報がつかめるのかも知れませんね。 〈返信〉 たくさんの情報をいただきまして、ありがとうございます。これから楽しみですね。 3月8日 杉本邦子著『明治の文芸雑誌』(明治書院)ですが、読み進めていましたら『都の花』の説明文に藤本藤陰(蔭)情報がありました。 乃ち、三十九号(明治23.5)以降は、印刷人として「藤本真(藤陰)と交替する」とありました。『都の花』は金港社発行の雑誌で、編集人は香亭中根淑です。 杉本邦子は藤本真と藤本藤陰(蔭)を同一人物であると見做しています。この典拠を是非とも尋ねたい所です。 2009年2月21日 Mさんからメールあり 『学海日録』調べでわかった新情報を書いておきます。 パソコンの不調になる前に去年分の佐倉メールを読み返していたら、藤本真を去年八月に話題にしていました。 先日のメールで再度藤本藤蔭のことを話題にしましたばかりでしたので、或いは同じ人物なのではないかと思い付きましたので、『学海日録』で調べました。 明治三十年六月十日に「真、この頃、博文館の日本名勝誌というものを著はしぬ」とあります。調べたら、これは藤本藤蔭著『日本名勝地誌』のことでした。 亦明治二十一年三月七日の条に「中根淑の周旋によりて、金港堂の編輯局に入りて校合の役」になるとあります。 国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに、明治二十一年十一月刊行の、藤本真著『小学簡易科読本字弁』(金港堂)がありました。 乃ち、『学海日録』の索引では、藤本真と藤本藤蔭は別項目になっていますが同一人物だと看做しても宜しいかと思います。 藤本真の『学海日録』初登場は明治四年でした。日録には同郷の佐倉の人とは書いていないが、就職の面倒を見ているところから判断しても、 藤本藤蔭こと藤本真は佐倉の人だと思われます。立花屋薫の佐倉人説同様確証が欲しい所です。 〈返信〉 また新しい人物が浮かび上がってきましたね。みなさんの情報をお待ちしています。 トップページ |